党の十全大会が勝利のうちに開かれたことは、わが国人民をこのうえなく励ました。全国のいたるところに、団結して戦う、生気はつらつとした革命的情景があらわれている。二千八百万の共産党員、各民族人民、人民解放軍の指揮員·戦闘員は、さまざまの祝賀活動をくりひろげて、大きな歴史的意義をもつ十全大会の偉大な勝利に歓呼をおくり、十全大会で採択された諸文献をだんこ擁護するとの意思を表明した。毛主席がひきつづき党中央委員会主席に当選したこと、新しい中央機構が選出されたことは、全国人民から熱烈な歓呼で迎えられた。何億もの人民は、毛主席をはじめとする党中央の指導のもとに、「大いに意気ごみ、つねに高い目標をめざし、多く、はやく、りっぱに、むだなく社会主義を建設する」という総路線をだんこ貫徹すれば、われわれの社会主義祖国はかならず日ごとに栄えてゆくにちがいないとのゆるぎない信念を示した。
中国共産党北京市委員会の出した通知は、つぎのように指摘している大会の文献はきわめて重要なマルクス·レーニン主義の文献であり、全党、全軍、全国人民の戦闘の綱領である。各級の党委員会は党員、幹部、大衆を組織して、十全大会の路線を真剣に学習し、貫徹しなければならない、と。首都各分野の幹部と大衆は、にえたぎる革命的義憤を胸に、林彪反党集団への批判をひきつづき深くほりさげてくりひろげている。首都鋼鉄公司の各工場、各鉱山の労働者·職員は、社会主義の全歴史的時期における階級闘争、路線闘争の長期性、複雑性、先鋭性にたいする認識をふかめ、それぞれの部門の前段階における林彪批判·整風運動の成果と経験を総括し、林彪批判·整風運動というこのもっとも大切な事柄をいっそうりっぱにやりとげる決意をかためた。「二·七」機関車·車両工場の労働者·職員は学習のなかで、毛主席が二回も同工場に来て革命の火種をまいた五十余年前の歴史を回顧し、文化大革命と林彪批判·整風運動の開始いらい、自分たちの工場で起きた大きな変化と結びつけ、「思想面、政治面での路線が正しいかどうかがすべてを決定ずる」ことの意義をいっそう深く理解した。
十全大会の喜ばしい知らせは、一九二一年に党の第一回代表大会が開かれた地―上海の人民をこのうえなく鼓舞した。上海人民は文献を真剣に学習し、党内の二つの路線の闘争の歴史的経験、とりわけ林彪反党集団を粉砕した闘争の経過をふりかえって、勝利の喜びにひたり、新たな勝利をめざして闘志をもえあがらせた。毛主席が一九五八年に視察した上海第一製鋼工場第二転炉職場では、当時毛主席と会った一部の古参労働者たちが、感激の気持をいだいて、十全大会文献の学習にとりくんでいる。古参製鋼労働者徐福竜さんは、「きょう、また毛主席をわれわれのところに迎えたような気がする」と語った。古参製鋼労働者銭海林さんは、「林彪というこのブルジョア階級の野心家、陰謀家、反革命二面派、裏切り者、売国奴を永遠に党から除名したことほど、痛快なことはない。林彪反党集団は資本主義を復活させようとしたが、これはかれらの妄想だ。われわれ労働者階級と勤労人民は、絶対にかれらの陰謀を実現させない」とのべた。
上海郊外地区の号上生産大隊の公社員たちは喜びにわきたっている。若者たちはいっしょになって自作の歌と踊のけいこに励み、老貧農たちは十八年まえの激烈な闘争を思い起こしている。この生産大隊の貧農·下層中農は毛主席の革命路線を堅持して、農業生産協同組合に大ナタをふるった右翼日和見主義の逆流に抗し、あくまでも社会主義の道をあゆみつづけてきたのだ。十八年このかた、かれらは毛主席の指示をしっかりとまもって、つぎからつぎへと勝利をおさめてきた。集団経済はいっそう強固になり、今年はまたもムー当りの収量五百キロ以上というワセの大豊作をかちとった。
人民解放軍の陸海空三軍、各部門の指揮員·戦闘員たちは、十全大会で確定された政治路線をだんこ貫徹し、社会主義祖国をまもる闘争のなかで新たな貢献をする決意をかためている。いま野営訓練中の「塔山英雄連隊」の指揮員·戦闘員たちは、林彪のブルジョア軍事路線を深くほりさげて批判する一方、十全大会の文献を学習し、同時に軍事訓練を強化している。祖国の辺境地帯の守りを固めている指揮員·戦闘員たちは、発奮して、仕事に励み、各方面から侵略戦争に抵抗する準備をととのえ、警戒心をたかめ、祖国を防衛し、あえて侵犯してくるすべての敵をいつでもせん滅する用意をととのえておかなければならない、と決意のほどを表明した。
「北京週報日本語版」1973年9月18日(No.37)
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