党内民主主義のいくつかの範例
一九三五年の遵義会議で毛沢東同志の正しい路線が党内で指導的地位を確立した。王明路線の流した害毒を一掃するため、毛沢東同志をはじめとする党中央は長期にわたり数々の準備をすすめ、一九四二年から全党の整風運動をくりひろげ、主観主義、セクト主義、党八股に反対した。同時に一九四二年から一九四四年にかけ最初は党中央政治局で、後には全党の高級幹部を指導して党の歴史について討議し、とりわけ一九三一年の初めから一九三四年末までの王明路線支配時期の歴史を討議した。これらの会議では民主主義が十分に発揚され、批判と自己批判がまじめに展開された。誤った路線に対しては、当時の環境、誤りの内容、およびこうした誤りの生じた社会的根源、歴史的根源、思想的根源に重点を置いて分析を加え、個々の同志の責任を追求することは重視しなかった。具体的問題を具体的に分析するというマルクス主義の方法を用い、すべてを肯定したり或いは否定したりすることを絶対に行なわず、実事求是の精神を十分に発揮した。このように、幅広い民主主義的基盤にたち正しい集中が実行され、王明路線支配時期における若干の歴史問題に対し全面的な科学的総括が行なわれ、全党の思想を統一し、党内幹部のマルクス主義的思想水準を大いに高めた。党内においてこれはそれまでにみられなかった、深く突っ込んだ偉大な民主主義運動であった。これを契機として党内闘争が正しく展開され、党内教育が行なわれ、党内の正しい政治活動を実行する手本がしめされた。民主集中制をふまえての全党の思想的、政治的一致団結によってわれわれは僅か数年問で抗日戦争と解放戦争の偉大な勝利をかちとり、全国解放後も、社会主義革命と社会主義建設の大きな勝利を急速にかちとったのである。
一九五八年から一九六二年にかけて、われわれの社会主義建設事業は大きく挫折し、国民経済に極めて大きな困難が生じた。このような事態が生じるのには、主体的にまた客観的にさまざまの要素があるが、とくに重要な原因は、党内の民主的生活が正常でなく、党内の民主集中制の原則が著しく破壊されたことである。われわれの一部の指導幹部は調査研究を忘れ、実事求是のすぐれた作風を失い、でたらめに指揮し、異なる意見を聞かず、批判をすなおに聞き入れず、レッテルをはり人をつるしあげた。このため本来は是正することの難しくない若干の誤りや失敗も、適時に是正されなかったばかりかかえって深刻化することになった。
一九六二年、中央工作拡大会議が開かれ、県党委員会書記以上の幹部七千人余がこれに参加した、党中央はあげあしをとらず、烙印を押さず、処罰をせずの三ざる主義を提起し、誰にも思う存分話させ、自分の意見を十分に発表させた。この会議で毛沢東同志は重要な講話を行なった。その中心テーマは民主集中制の問題であった。かれは民主主義がなければ、正しい集中は有りえないというこの重要な道理をくり返しのべるとともに、すすんでこの時期の工作上の責任をかぶり、各級幹部に手本をしめした。毛沢東同志はさらに自由と必然の弁証法的関係から、社会主義建設の法則についてのわれわれの認識不足から工作上なお非常に大きな盲目性が存在していることを説き明かした。かれは全党の同志に、大衆のなかに入って深く調査研究し、事物の発展の客観的法則を求めるよう呼びかけた。
この七千人大会は党中央が民主主義を発揮した大会であった、大会後各級の幹部は党中央の開いた会議の民主的作風を持ち帰り全党で推進した。中央の民主主義は全党の民主主義の手本となり、党内の民主主義は社会的な民主主義の手本となった。こうした生気はつらつとした政治的局面によりわれわれはたちまち困難を克服し、社会主義建設には再びすばらしい発展のきざしがあらわれた。
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