これはマルクス·レーニン主義、毛沢東思想にたいする徹底した裏切りである。われわれの党の綱領は、「中国共産党は中国労働者階級の先進的部隊であり」、その目的は中国において「搾取制度を徹底的に消滅し」、「共産主義を実現する」ことである、と明確に規定している。もし資本主義の道を歩む党内最大の実権派のいうように、富農や搾取者が党員になってもよく、党員が率先して搾取をおこなうなら、われわれの党は富農の党、搾取階級の党になってしまうではないか。プロレタリアートの政党の「党規党法」で、党員が人を雇うことを許し、党員が搾取をおこなうことを許しているものが、これまでにあったためしはない。人を雇うことを許し、搾取を許しているのは、ブルジョア政党の「党規党法」だけである。
この資本主義の道を歩む党内最大の実権派は、わが国における生産手段の所有制の社会主義的改造が基本的になしとげられたのち、階級闘争消失論を大いに宣伝し、「国内での主要な階級闘争はもはや基本的に終結した」だの、「社会主義と資本主義とのどちらがどちらに勝つかの間題は、いまではすでに解決されている」だのといいふらした。かれはフルシチョフと同じように、共産党を「全入民の党」に変えようとした。かれは一群のブルジョアジーの代表者を党内にひきいれることを主張し、はては資本家が「入党すればなおさら結構だ」などと公言した。かれはまた、「国家のもっとも重要な任務は社会生活を組織することである」とか、「党の主要な任務は、できるだけはやく生産力を発展させることにほかならない」とかと、いったのである。
「全人民の党」―これは、まぎれもなく、人をあざむくためのつくり話である。政党は国家と同様、階級闘争の道具である。共産党は、それが存在しているかぎり、全人民の党ではありえない。いわゆる「全人民の党」は、実際には、かけ値なしのブルジョア政党である。共産党の中心的任務は階級闘争をおこない、プロレタリアート独裁を実行し、プロレタリアート独裁を強化すること以外にない。これらのことをやらなければ、それは真の共産党ではない。国家の階級的性格をまっ殺し、社会の階級的性格をまっ殺して、「社会生活を組織する」などといったり、「生産力を発展させる」などといったりするのは、みな古株の修正主義の人をあざむく手口である。資本主義の道を歩む党内最大の実権派のこの一連の手口は、フルシチョフがさかんに宣伝していた「経済問題と生産問題が党組織の活動の中心におかれ、党組織の全活動の第一位におかれる」というのと、まったく同じしろものである。かれのいうとおりにやれば、ソ連と同じように、マルクス·レーニン主義の党はかならず修正主義の党に変わり、全中国は変色するにちがいない。
毛主席がみずからおこし、指導しているプロレタリア丈化大革命は、資本主義の道を歩む党内最大の実権派を摘発し、打倒し、かれがおしすすめてきた反革命修正主義路線をたたきこわし、プロレタリアート独裁をブルジョアジー独裁に変え、わが党を修正主義の党に変えようとするかれの陰謀を粉砕した。これは毛沢東思想の偉大な勝利であり、毛沢東思想を指針とする党を建設するうえでの偉大な勝利である。
わが党は敢然と偉大なプロレタリア文化大革命をおこす胆力と気迫をもっており、しかもこの偉大な運動のきびしい試練に耐えぬいてきた。このことは、われわれの党がもっとも強固な、もっとも水準の高いマルクス·レーニン主義の政党であることを力強く立証している。
毛主席はわれわれに、「新陳代謝は宇宙における普遍的な、永遠にさからうことのできない法則である」と教えている。プロレタリア文化大革命を通じて、資本主義の道を歩む党内のひとにぎりの実権派は一掃され、広範な党員は革命の烈火のなかで鍛練された。同時にまた、新鮮な血液は増加し、わが党はいっそう健全になり、いっそう活気にあふれ、いっそう戦闘力に富むようになった。プロレタリア文化大革命の大衆運動のなかで党を整える―このことはプロレタリア政党を建設するうえで、新しい紀元をひらいたものである。
プロレタリア文化大革命はプロレタリアートの司令部を純潔なものとし、党の指導を大いに強化した。資本主義の道を歩む党内のひとにぎりの実権派はいう。プロレタリア文化大革命は「党の指導を不必要とするものだ」と。これは、まったくの中傷である。プロレタリア文化大革命は、偉大な指導者毛主席をはじめとする党中央の直接の指導のもとで、すすめられているものであり、これこそもっとも強固な党の指導であり、もっとも偉大な党の指導である。資本主義の道を歩む党内のひとにぎりの実権派の、いわゆる「党の指導」とは、かれらが号令をかけるということである。これは断じてゆるされないことである。フロレタリア文化大革命とは、ほかでもなく、かれらの官職を解き、かれらの権力を奪い、かれらの「指導」をうち倒すことなのである。
プロレタリア文化大革命が立証しているように、わが党の広範な党員はよい党員と比較的よい党員よりなっており、党内にもぐりこんだ資本主義の道を歩む実簿派はほんのひとにぎりにすぎない。広範な党員は断固として毛主席の言葉をきき、毛主席のフロレタリア革命路総の側に立ち、資本よ義の道を歩む党内のひとにきらの実権派とたたかっている。これが主流であり、これがもっとも基本的な事実である。
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