資料写真1:毛沢東と周恩来(左)
ある時、周恩来総理が非常に重要な報告を行うと、記者の書いた記事原稿には「周恩来総理が重要演説」との一文があった。周総理は審査時、他の部分には一切手を加えず、「重要」の2文字だけを丸で囲んで削除させた。(文:胡祥鴻、「北京日報」掲載)
ある座談会で出席者らの発言が終わり、司会者が「では周総理の指示をお願いします」と言った。すると周総理は「違う。『指示』ではない。私の発言は個人の意見だ。今日の発言は中央で採択されたものではなく、正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。間違っていたら、みなに批判してもらってもいい」と述べた。
1961年に周総理が外遊から帰国すると、翌日の新聞には「周総理は生き生きとした表情で飛行機を降りた」とあった。記事を見た周総理は担当秘書を通じて記者を呼び、紙面を指して「国が困難を抱え、人民が苦しんでいる時に、どうして私が『生き生きとした表情』でいられるのか?」と指摘。さらに「われわれ共産党幹部はみな人民の公僕だ。現在、天災と人災のためにわれわれはご飯も十分に食べられない状況にある。それなのに国の総理である私が『生き生きとした表情』だって?こんな宣伝は上は国情に、下は民心に沿わない」と述べた。(編集NA)
「人民網日本語版」2011年6月13日
資料写真2:1962年1月11日に北京で開かれた「7千人大会」での毛沢東、周恩来(左端)、陳雲、劉少奇、トウ小平
資料写真3:1975年の周恩来
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