建国後三十二年の歴史にたいする基本的評価
(六)中華人民共和国が生まれて後の中国共産党の歴史は、総じていえば、わが党がマルクス·レーニン主義と毛沢東思想の指導のもとに、全国各民族人民を指導して社会主義革命と社会主義建設をすすめ、大きな成果をおさめてきた歴史であった。社会主義制度の確立は、わが国の歴史上もっとも深い意義をもつ、もっとも偉大な社会的変革であり、わが国のこれからのすべての進歩と発展の基礎である。
(七)建国後三十二年間にわれわれのかちとった主な成果は、つぎのとおりである。
一、労働者階級の指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁、すなわちプロレタリア独裁の国家権力を樹立し、うち固めたこと。これは中国の歴史上かつてみない、人民を主人公とする新しい型の権力であり、現代化した富強、民主、文明の社会主義国を建設するうえでの根本的な保証である。
二、全国的範囲(台湾などの島をのぞく)で国家の統一を実現し、うち固め、旧中国の四分五裂の局面を一変させたこと。われわれは全国各民族人民の大団結を実現し、うち固め、五十余の民族の平等と相互援助の社会主義的民族関係をきずきあげ、発展させた。われわれは全国の労働者、農民、知識分子、その他各階層の人民との大団結を実現し、これをうち固め、中国共産党の指導する、愛国民主諸党派と人民団体の協力しあう、すべての社会主義的勤労者、社会主義を擁護する愛国者、祖国の統一を擁護する愛国者の参加する、台湾同胞、香港·澳門(マカオ)同胞と海外華僑を含めた幅広い統一戦線を強化し、拡大した。
三、帝国主義と覇権主義の侵略、破壊、武力挑発にうち勝ち、国家の安全と独立を守りぬき、祖国の国境を守る闘争を勝利のうちにすすめた。
四、社会主義経済を確立し、発展させ、生産手段私有制の社会主義的改造を基本的になしとげ、生産手段の共有制と労働に応じた分配を基本的に実現したこと。搾取制度は廃止され、階級としての搾取階級はもはや存在しなくなった。かれらのうちの圧倒的多数は、自分の労働で生活する勤労者となっている。
五、工業建設で大きな成果をおさめ、比較的ととのった独立した工業体系と国民経済体系を逐次つくりあげたこと。一九八〇年を経済の回復した一九五二年と比べてみると、工業部門の固定資産は五二年当時の価格に換算して二十七倍余の四千百余億元となっている。また、綿糸生産量は四·五倍の二百九十三万トン、石炭生産量は九·四倍の六億二千万トン、発電量は四十一倍の三千余億キロワット時、原油採出量は一億五百余万トン、粗鋼生産量は三千七百余万トン、機械工業生産額は五十四倍の千二百七十余億元に達している。広大な内陸部と少数民族居住地区にも、新たな工業基地が一部建設された。国防工業は無から有へと逐次発展をとげた。資源の探査の面でも大きな成果をあげている。鉄道、自動車道路、船舶、航空などの輸送事業と郵便·通信事業も大きな発展をとげた。
六、農業生産の条件もいちじるしく改善され、生産水準が大幅に向上した。全国の灌漑面積は、一九五二年の三億ムー(一ムーは約六·六六七アールに相当)から現在の六億七千余万ムーにまで拡大した。長江、黄河、淮河、海河、珠江、遼河、松花江など大きな河川の洪水も、普通の規模のものなら、一応防止できるようになった。解放前、わが国の農村には、農業機械、化学肥料、電気などがほとんどなかったが、いまでは農業用トラクターと排水·灌漑機械をもつようになり、化学肥料の施肥量も大幅に増加し、電力使用量も解放直後の全国発電総容量の八·五倍に達している。一九八○年には一九五二年と比べて、全国の穀物収穫高は二倍近くになり、綿花も二倍以上になった。人口の増加が速すぎ、現在すでに十億近くになっているにもかかわらず、われわれはやはり自己の力に依拠して、十億近い人民の衣食を基本的に確保している。
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