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1980年代  
建国いらいの党の若干の歴史的問題についての決議

 

(二四)「文化大革命」が起こり、それが十年もつづいたことについては、さきに分析した毛沢東同志の指導上の誤りという直接の原因のほかにも、複雑な社会的、歴史的原因がある。それは主として次のとおりである。

一、社会主義運動の歴史は浅いが、社会主義国の歴史はさらに浅い。社会主義社会の発展法則のうち、一部はすでにかなりはっきりしているが、より多くのものはなお令後の模索に待たなければならない。わが党はかつて長い間、戦争と激烈な階級闘争の環境に置かれていたため、急速に到来した新しい社会主義社会や全国的規模の社会主義建設事業については、十分な思想的準備と科学的研究に欠けていた。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの科学的著作はわれわれの行動の指針ではあるが、わが国の社会主義事業のさまざまな問題に出来合いの答案を提供するわけにはいかない。指導思想の点から見ると、わが党には特有の歴史的特徴があるため、社会主義的改造を基本的になしとげたあと、社会主義社会の発展過程にあらわれる政治、経済、文化など各分野の新しい矛盾、新しい問題を考察し処理する場合、すでに階級闘争には属していない問題をあいかわらず階級闘争であると見なしがちであり、また、新しい条件のもとでの階級闘争に直面した場合にも、以前に使いなれてはいるが、この時期にはもはやそのまま持ちこめない大がかりな嵐のような大衆闘争という従来の方法と従来の経験を踏襲して、階級闘争の重大な拡大化をまねきがちである。同時に、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの著作のなかの一部の構想や論点を誤って理解し、あるいはドグマ化したため、こうした現実生活から逸脱した主観主義的な思想や方法に「理論的根拠」があるかのような錯覚をあたえてしまった。たとえば、社会主義社会では、消費財分配のさいの等量労働の相互交換という平等の権利、つまりマルクスのいう「ブルジョア的権利」を制限、批判すべきであり、したがって、労働に応じた分配の原則と物質的利益の原則も制限し、批判すべきであると考えたこと、社会主義的改造が基本的になしとげられたあとも、小生産が毎日、毎時間、資本主義とブルジョアジーを大量に生み出していると考えたため、都市と農村で左よりの一連の経済政策と階級闘争政策をおこなうようになったこと、また、党内の思想上の意見のくいちがいはすべて社会の階級闘争の反映であると考えたため、激しい党内闘争を頻繁におこなうようになったことなどである。このため、われわれは階級闘争拡大化という誤りをマルクス主義の純潔性を守ることだと勘違いすることになった。このほか、ソ連の指導者が中ソ論戦を挑発して、両党間の原則上の論争を国家間の紛争に変え、中国に政治上、経済上、軍事上の大きな圧力をかけてきたため、われわれはソ連の大国的排外主義に反対する正義の闘争をすすめないわけにいかなくなった。しかし、こうした状況の影響をうけて、われわれは国内でも修正主義反対、修正主義防止の運動なるものをすすめ、階級闘争拡大化の誤りが日ましに党内で深刻化することになった。このため、党内の同志間の異なった意見をめぐる正常な論争も、いわゆる修正主義路線のあらわれであるとか、路線闘争のあらわれであると見なされ、党内関係は日ましに緊張していった。こうして、党は毛沢東ら諸同志の提起するいくつかの左よりの観点を拒みきれなくなり、こうした左よりの観点が発展して、「文化大革命」の発生と持続をまねいたのである。

二、党が活動の重点を社会主義建設にうつすという新しい課題に直面し、とりわけ慎重を期さなければならなくなったその時期に、毛沢東同志の威信も頂点に達した。毛沢東同志は次第におごりたかぶり、実際から離れ、大衆から浮きあがり、日ましに主観主義、独断専行の作風をつのらせ、日ましに党中央のうえに身を置くようになった。このため、党と国家の政治活動における集団指導の原則と民主集中制は、たえず弱められ、破壊されるようになった。こうした現象は次第に生まれてきたもので、党中央もこれにはある程度の責任を負わなければならない。マルクス主義の観点によると、この複雑な現象は一定の歴史的条件のもとに生まれたものである。もしもその責任をある個人、またはいく人かの者にのみおしつけるなら、全党はここから深い教訓を汲み取ることも、実効ある改革の段取りを見つけることもできなくなってしまう。共産主義運動において、指導者というものは非常に重要な役割をもっている。この点については、歴史がくりかえし立証しており、疑いの余地もない。だが、国際共産主義運動の歴史上、指導者と党との関係の問題を正しく解決しなかったためにある種の重大な偏向が生まれ、それによってわが党にも消極的な影響がもたらされた。中国は封建制の歴史の非常に長い国である。わが党は封建主義、わけても封建的土地制度や豪族、悪徳ボスともっとも断固たる、もっとも徹底した闘いをすすめ、反封建闘争のなかですぐれた民主的伝統をそだてた。だが、長期にわたる封建的専制主義の、思想·政治面における害毒は、やはり簡単に一掃しうるものではなかった。また、さまざまな歴史的原因によっても、われわれは共産党の内部における民主と国家の政治·社会生活における民主とを制度化し、法律化することができず、また法律をつくったとしても、しかるべき権威をもたせることができなかった。このために生まれた条件によって、党の権力があまりにも個人に集中しすぎ、党内に個人の独断専行と個人崇拝の現象がはびこることとなり、党と国家は「文化大革命」の発生と発展を防ぎ、おしとどめることができなくなったのである。

 

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