人民に奉仕するうえで共産主義者にもっとも大切なのは、共産主義事業のために生涯奮闘し、人民の利益のためには自己犠牲をも惜しまないという精神である。戦争の日々、広範な共産党員は戦場でまっ先に突撃し、一番あとに退却し、敵の刃のもとにあっても断じて屈服せず、昂然と犠牲になった。また、いかなる場合にも、大衆に先んじて苦しみ、大衆に遅れて楽しんだ。このことが幾千幾万の人民大衆にどれほど大きな教育とはげましをあたえたことであろう。今日の平和な建設の時期にあっても、とくに「文化大革命」の十年にわたる破壊をうけた後は、いっそうこうした精神革命が必要である。われわれのすぐれた党風は林彪·江青反革命集団によってひどくふみにじられはしたが、それでもなお人民の利益のためにすすんで個人の利益を犠牲にし、はては命までもささげるという革命精神を保持し、発揚している優秀な共産党員が大勢いる。かれらは人民から高く称賛されているが、それもまったく当然である。平和建設の時期には、革命精神を捨ててしまってもよく、大衆と苦楽を共にしなくてもよく、また、党員の個人的利益を大衆の利益の上においてもかまわないというような思想と行動は、まったく誤っており、われわれ共産党の党性を台なしにするものである。
権力の座にある党の党風は、党の存亡にかかわる問題である。一九四二年、毛沢東同志は「わが党の作風が完全に正しくなれば、全国人民はわれわれに学ぶようになる。党外にこうした良くない傾向(訳注―主観主義、セクト主義、党八股を指す)の者がいても、善良な人であるかぎり、われわれに学び、誤りを改めるようになる。そうなれば全民族に影響をあたえることができる。われわれ共産党の隊列が整然とし、足なみが一致し、兵士がすぐれ、武器がよいものであるかぎり、いかなる強人な敵もわれわれにうち勝つことはできない」(訳注―「党の作風を整えよう」)と指摘したことがある。われわれは最大の決意をかためて、党と毛沢東同志のきずきあげたすぐれた党風を大いに復活させ、発揚し、全民族をひきいて高度の社会主義的精神文明をきずきあげなければならない。
二、われわれは新しい歴史的条件のもとでマルクス·レーニン主義と毛沢東思想を前進させることに長じていなければならない。
われわれはこれまで、マルクス·レーニン主義と毛沢東思想に導かれで、革命と建設の偉大な勝利をおさめてきた。今後の長期にわたる征途においても、われわれは同様にマルクス·レーニン主義と毛沢東思想に導かれて、新たな、いっそう偉大な勝利をおさめなければならない。われわれ共産主義者にも家宝というものがあるとするなら、マルクス·レーニン主義と毛沢東思想こそわれわれのもっとも重要な家宝である。マルクス·レーニン主義と毛沢東思想を堅持し、マルクス主義の基本原理を指針とすることを堅持するのは、われわれ中国共産主義者の揺るがすことのできない基本的原則である。
マルクス主義はプロレタリア革命についての科学的思想の結晶であり、われわれが客観世界を認識し、改造するうえでのもっとも強大な精神的武器である。マルクス主義の基本原理は実践を経てくりかえし検証された真理ではあるが、しかし、人類社会の歴史の大河におけるすべての真理をきわめつくしてはいないし、また、きわめつくすこともできない。マルクス主義の理論は、われわれ革命をめざす者の行動の指針であり、そのまま鵜呑みにしなければならぬ硬直化したドグマなどではない。マルクス主義に忠実なすべての革命者は、マルクス主義を社会生活から切り離して、これを停止させたり、硬直化させたりしないようにする責任があり、新しい革命の経験でそれを豊かにし、旺盛な生命力を保たせなければならない。したがって、マルクス·レーニン主義と毛沢東思想を前進させるのは、マルクス主義にたいするわれわれ中国共産主義者の根本的姿勢であり、われわれ中国共産主義者の逃れることのできない歴史的責務でもある。これは、もちろん、生やさしいことではない。この重責をになうためには、われわれはマルクス主義の基本的原理と中国の社会主義的現代化建設の具体的実際とをよりよく結びつけることに大きな努力をはらい、全身全霊をかたむけなければならない。
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