一九七七年から八○年までの四年間に三百二十万の共産主義青年団員が中国共産党に入党した。
これらの新しい党員の多くは工農業生産、科学研究、教育、国防などの分野の中核分子であり、社会主義祖国の防衛や現代化建設のなかですぐれた成績をあげている。
各級の党委員会は、共青団員と一般青年の入党の願望を重視し、積極的に培い、慎重に吸収する方針にもとづいて、入党の条件に合致する共青団員と一般青年を適時に入党させている。上海市紡績部門では、この四年間に四千八百四十五人が入党したが、そのうち、一千三十二名が二十五歳以下である。一九八○年、北京市で入党した三十五歳以下の新党員三千七百七十五人のうち、二千六百五十六人が二十八歳以下の模範共青団員である。
各大学·高等専門学校は学生の思想政治教育に力を入れている。北京清華大学の学生のうち、五百人余りの共青団員が入党を申請し、七十七人が入党を承認された。
四年らい、内蒙古、新疆ウイグル、チベット三自治区では、約五万人の少数民族の共青団員が入党した。
中国共産党が全国人民を指導して文化革命の十年間の動乱に終止符を打ったのち、とくに一九七八年末の党の十一期三中総いらい、共青団員と一般青年の中で入党を希望するものがますます多くなり、自らの切実な体験を通じて中国共産党をいっそう熱愛し、信頼するようになった。北京のある共青団員は、入党申請書のなかでこうのべている―「わたしはあらゆる社会を比較し、くりかえし考えてみたが、社会主義社会ほどすばらしい社会はなく、共産党よりすばらしい政党はない。歴史が雄弁に物語っているように、中国を救えるのは社会毛義だけである」。
「北京週報日本語版」1981年7月14日(No.28) |