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中国共産党創立60周年  
建国いらいの党の若干の歴史的問題についての決議

 

「文化大革命」の十年

(一九)一九六六年五月から一九七六年十月にいたる「文化大革命」によって、党と国家と人民は建国いらい最大の挫折と損失をこうむった。この「文化大革命」は毛沢東同志が起こし、指導したもので、その主な論点はつぎのとおりである。党、政府、軍隊と文化領域の各分野には、ブルジョアジーの代表的人物と反革命の修正主義分子がすでに数多くもぐり込んでおり、かなり多くの部門の指導権はもはやマルクス主義者と人民大衆の手には握られていない。党内の資本主義の道をあゆむ実権派は、中央でブルジョアジーの司令部をつくり、修正主義の政治路線と組織路線をもち、各省、市、自治区および中央の各部門にそれぞれ代理人をかかえている。これまでの闘争はどれもこの問題を解決することができなかった。走資派の奪いとっている権力を奪いかえすには、文化大革命を実行して、公然と、全面的に、下から上へ広範な大衆を立ちあがらせ、上述の暗黒面をあばき出すよりほかはない。これは、実質的には、一つの階級がもう一つの階級をくつがえす政治大革命であり、今後とも何回もおこなわなければならないものである―こうした論点は、主として「文化大革命」の綱領的文献としての『五·一六通達』と党の第九回全国代表大会の政治報告のなかで明らかにされたもので、「プロレタリア独裁下の継続革命の理論」というものに概括された。したがって、「プロレタリア独裁下の継続革命」という言葉には特定の意味が含まれている。毛沢東同志の起こした「文化大革命」のこれらの左よりの誤った論点は、マルクス·レーニン主義の普遍的原理と中国革命の具体的実践とを結びつける毛沢東思想の軌道から明らかに逸脱したもので、毛沢東思想とは完全に区別しなければならない。毛沢東同志が重用した林彪、江青らについていえば、かれらは最高権力の奪取をたくらむ二つの反革命集団をつくり、毛沢東同志の誤りにつけこみ、毛沢東同志にかくれて、国と人民に災いをもたらす大量の犯罪行為を働いた。これはまったく別の性格の問題である。かれらの反革命的罪業はすでにあますところなく暴露されているので、この決議では多くはふれないこととする。

(二〇)「文化大革命」の歴史は、毛沢東同志の起こした「文化大革命」の主な論点がマルクス·レーニン主義に合致しないばかりでなく、中国の実情にも合致しないことを物語っている。これらの論点は、当時のわが国の階級的情勢および党と国家の政治的状況について、まったく誤った判断をくだしている。

一、「文化大革命」は修正主義路線もしくは資本主義の道との闘争と言われているが、こうした論法にはまったく根拠となる事実がないばかりか、一連の重要な理論問題と政策問題にも是非の混同がみられる。「文化大革命」のなかで修正主義もしくは資本主義として批判されたものは、その実、マルクス主義の原理と社会主義の原則にほかならない。そのなかには、かつて毛沢東同志がみずから提起したものや支持したものもたくさんあった。「文化大革命」が建国いらい十七年にわたる数多くの正しい方針、政策、成果を否定したこと、これは実際には毛沢東同志自身をふくむ党中央と人民政府の活動を大きく否定し、これまで社会主義を建設してきた全国各民族人民の苦難にみちた闘いを大きく否定するものであった。

二、このような是非の混同が敵味方の混同をまねくのは必至である。「文化大革命」で打倒された「走資派」は、党と国家の各級組織における指導的幹部、つまり社会主義事業の中核的な力であった。党内には、劉少奇、鄧小平をはじめとする「ブルジョアジーの司令部」などというものはまったく存在しなかった。劉少奇同志におしつけられた「裏切り者」、「敵のまわし者」、「労働貴族」という罪名が、完全に林彪、江青らのデッチあげであったことは、確固たる事実によって立証されている。劉少奇同志にたいする八期十二中総の政治的結論と組織的処分はまったく誤ったものである。「文化大革命」が「反動学術権威」なるものを批判したため、才能あり、功績ある多くの知識分子が打撃と迫害をうけ、敵味方の区別も極度に混乱させられた。

三、「文化大革命」は、直接大衆に依拠することを名としていたが、実際には党の組織からも、広範な大衆からも浮きあがっていた。運動がはじまると、党の各級組織はほとんど攻撃の矢面に立たされ、マヒ状態·半ばマヒ状態に陥った。党の各級の指導的幹部は普遍的に批判され、つるしあげられた。広範な党員は組織生活を停止され、党が長期にわたって依拠していた多くの積極分子や基本的大衆も排斥された。「文化大革命」の当初、大多数の者は毛沢東同志と党にたいする信頼から運動にまき込まれたのであり、ごく少数の過激分子をのぞけば、党の各級指導的幹部を残酷なまでにつるし上げることにはだれも賛成していなかった。やがて、かれらはさまざまの曲がりくねった道をたどって自覚を高め、「文化大革命」にたいして次第に懐疑的傍観的な態度、さらには抵抗ないし反対の態度をとるようになった。なかには、このためにさまざまな打撃をうけた者も少なくない。このため、一部の投機分子、野心家、陰謀家につけこむスキをあたえることは、避けられなかった。かれらのうちの少なからぬ者は重要なポスト、もしくは非常に重要なポストに抜てきされた。

四、実践が物語っているように、「文化大革命」はいかなる意味でも革命とか社会的進歩ではなく、また、そうしたものではあり得なかった。「文化大革命」は、根本的にいって、「敵を混乱させた」のではなく、味方を混乱させたのである。だから、それは終始、「天下大いに乱れて、天下大いに治まるにいたる」というようなものではなく、また、そうしたものではあり得なかった。わが国においては、人民民主主義独裁の国家権力がうち立てられてのち、とくに社会主義的改造が基本的になしとげられ、階級としての搾取階級が消滅されてのち、社会主義革命の任務はまだ最終的には達成されなかったものの、革命の内容と方法はもはやこれまでとは根本的に異なるものになっていた。党と国家の機構のなかに確かに存在している一部の暗い面については、もちろん、当を得た評価をおこない、憲法、法律、党規約に合致した正しい措置によって解決する必要があるが、「文化大革命」のような理論と方法はけっしてとるべきではない。社会主義の条件のもとでは、「一つの階級がもう一つの階級をくつがえす政治大革命」などというものをおしすすめる、経済的基礎も、政治的基礎も存在しない。「文化大革命」がいかなる建設的綱領もうら出せず、重大な混乱、破壊、後退をもたらすだけであったのは当然である。歴史がすでに明らかにしているように、「文化大革命」は、指導者がまちがってひき起こし、それが反革命集団に利用されて、党と国家と各民族人民に大きな災難をもたらした内乱である。

 

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