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中国共産党創立80周年  
終始人民の側に立つ中国共産党      
――中国共産党創立80周年を記念して

李 雨

 中国を訪れたことのない外国人は、中国の民衆がよく歌う「共産党がなければ新中国もない」、「共産党が中国を率いて新しい時代に入る」という歌に対し理解に苦しむという。しかし、彼らはひとたび中国の大地に足を踏み入れ、中国の民衆と共産党員に接触すると、恐らく中国の民衆と中国共産党の間にある生死を共にし、互に離れなれない関係およびこれらの歌が決して内容を伴わない賛辞でないことをわりに客観的に理解することができる。中国の80年近い歴程、特に中国人民が抑圧され、侮られる状態から脱却し、つづいて貧困から脱却して富裕に向かう運命は、中国共産党と関係のないものは一つもない。

 新中国を創立

 1921年の中国共産党の創立は、近代における中国社会の発展と革命の発展の客観的要求であり、これにもまして中国の民衆の強い願望と追求に応えるものである。

 当時の中国民衆の期待と要求は、中国で民族が独立し、国が統一し、政治が安定し、経済が発展し、庶民が安定して楽しく働き暮らすことであった。中国共産党の最終的理想は共産主義を実現することであるが、当時、党は綱領を最高綱領と最低綱領に分け、最低綱領は帝国主義と封建主義に反対し、中華民族の徹底的解放を求め、真の民主共和国を樹立することであった。これは時代の発展の流れに順応もしておれば、民衆の根本的利益と要求にも合致していた。

 中国共産党は反帝反封建の革命綱領を打ち出して、中国人民に闘争の目標を明示し、ブルジョア民主派がとらなかった広範な大衆に依拠する革命のやり方で、中国の労働運動を推進して最初の高まりを出現させ、中国革命の様相を一新した。

 中国共産党の指導、影響、推進の下で、国民党と共産党が合作する条件の下で、中国で反帝反封建の大革命が巻き起こった。北伐戦争(北洋軍閥を覆すために行った革命戦争)は中国共産党が打ち出した反帝反封建というスローガンの下で行われたものであり、共産党員、共産主義青年団団員は国民党の進歩的な人々とともに、北伐軍の中で中堅としての役割を果たした。北伐の勝利裏の進軍に伴って、党の指導する労農運動が急速に発展し、中国における帝国主義と封建勢力の統治の基盤を揺るがした。闘争の大事時刻に、大ブルジョアジーが裏切り、共産党内に投降主義の誤りが生じたため、この革命は失敗に終わった。

 1927年の大革命失敗後、国民党新軍閥の残虐な統治に直面して、中国共産党は革命の旗印を引き続き高く掲げ、土地革命と武装蜂起を決行するという総方針を実行した。毛沢東を代表とする中国の共産主義者は、闘争の中で経験を積み、党の活動の重心を都市から農村に移し、農村で広範な農民を動員し、根拠地をつくり、農村で都市を包囲し、武力で政権奪取するという道を切り開いた。

 1931年の九・一八事変の勃発で、日本が中国をその植民地に変える段階が始まった。中国共産党は真先に武装抗日の旗印を掲げ、全国人民が抗日救国闘争を進めるよう呼びかけた。革命が復興に向かう時、「左」翼教条主義の誤りを固執した指導者が毛沢東を排斥して、指導的地位を占め、党に再び重大な損失を蒙らせた。第5回反「包囲討伐」闘争が失敗したため、赤軍はしかたなく戦略的転換――長征を始めた。

 大革命と土地革命戦争の二回の勝利と失敗は、党を教育し、長征の途中で開かれた遵義会議では、毛沢東を代表とする正しい路線の指導的地位が確立され、党の生死存亡にかかわる.転換点となった。その後、党は赤軍を指導して並大抵でないねばり強い気力で、敵の包囲、追撃とさまざまな困難にうち勝ち、長征の偉大な勝利を収めた。

 1937年7月、日本帝国主義が全面的な中国侵略戦争を起こした。8年にわたる抗日戦争期間に、中国共産党は終始全民族が団結して抗戦する旗印を高く掲げて、民族解放闘争の最前線で活躍した。中国共産党は抗日救国綱領を制定し、全面的抗戦の路線と持久戦の戦略的方針を打ち出し、抗日戦争の勝利をめざす道を明示した。党の指導する八路軍、新四軍およびその他の抗日人民武装は敵の後方に深く入っていき、農民を主とする人民大衆を動員して、独立自主の遊撃戦を展開し、敵後方の抗日根拠地を切り開き、抗日民主政権を樹立した。

 抗日戦争が勝利する直前に開かれた党の第7回全国代表大会は、侵略者を打ち負かし、新中国を建設する政治路線を制定し、全党を毛沢東思想を基礎として高度に団結、統一させた。中国人民は8年にわたる困難にみちた奮闘を経て、ついに抗日戦争の偉大な勝利を獲得し、国際反ファシスト戦争の勝利のために不滅の貢献をした。

 抗日戦争勝利後、中国共産党は全国人民の根本的利益と要求を代表し、独立、民主、富強の新中国を樹立するために闘争した。党は平和、民主、団結の方針を打ち出し、平和なルートを通じて中国の社会と政治を改革するように努めた。

 1946年6月末、アメリカ政府の援助と支持を得た国民党統治グループは、あろうことか全面的内戦を起こした。人民解放軍は中国共産党の指導の下で、自衛戦争で国民党の軍事進撃を粉砕し、自らを戦略進撃に転じさせた。党は人民解放軍を指導して遼瀋、淮海、平津の三大戦役を行い、国民党がその反動的統治を維持するための主要な軍事力を消滅した。人民解放軍は長江を渡って南京を解放し、国民党の反動的統治の覆滅を宣言した。

 中国共産党の指導する反帝反封建の新民主主義革命は、偉大な勝利を収めた。中華人民共和国の創立は、中国人民がその時から世界の東方で立ち上がり、中国の歴史が斬新な時代に入ったことを示している。

 新中国を建設

 新中国の創立によって、中国の民衆は新社会、新国家の主人公となった。平和な環境の中で、彼らは社会が安定し、経済が発展し、安定して働き、暮らし、生活を改善することを期待した。中国共産党は民衆の要求に順応し、中華人民共和国が成立した194910月から1956年9月にかけて、全国各民族人民を指導してわずか3年で戦争の傷跡を癒し、旧中国の経済構造を調整し、国民経済を全面的に回復し、急速に発展させた。これをふまえて、党は適時に、かなり長い時間をかけて、国の社会主義工業化をちくじ実現し、農業、手工業、資本主義商工業に対する社会主義的改造ちくじ実現する過渡期の総路線を打ち出した。

 党の総路線に導かれて、中国は大規模な計画的経済建設を展開し、全国のほとんどの地区で生産手段私有制に対する社会主義的改造を基本的に完成し、生産力の発展を促し、社会主義工業化の初歩的基礎を築いた。社会主義的改造の基本的達成は、中国のその後のすべての進歩と発展のために基礎を築いた。第15カ年計画期に、各方面の建設事業がめざましく発展し、人民生活が普遍的に改善され、中国の国際的地位が向上したことは、中国人民が社会主義を選んだのはまったく正しいことを証明している。

 社会主義的改造が基本的に達成されたあと、中国共産党は全国各民族人民を指導して全面的で大規模な社会主義建設を始めた。

 しかし、経済活動の指導思想の「左」翼的な誤りがまだ徹底的に是正されず、政治思想と文化面の「左」翼的な誤りがまたも発展して、ついに1966年5月の「文化大革命」の発生を招いた。

 「文化大革命」期間中、中国の国民経済と諸事業は巨大な損失を蒙ったとはいえ、それでも進展をとげた。党は自らの力に頼って、林彪、江青の二つの反革命グループに打ち勝ち、動乱を克服し、歴史の試練に耐えぬき、新しい時期を迎えた。

 中国の社会主義建設が曲折しながら前進した歴史は、経済と文化が立ち遅れた中国で社会主義を建設するのが非常に困難で複雑な事業であることを示し、中国共産党が人民の意志から出発して方針・政策を制定し、同時に自らに存在していたさまざまな弊害を是正することができることを示し、同時に社会主義制度が偉大にして強い生命力をもっており、社会主義の道を歩むことが確かに中国人民自身の願いから出たもので、中国人民が自ら選んだものであることをも示している。

 改革・開放で新時代に入る

 197610月、国と人民に災いをもたらした「4人組」が粉砕された。この勝利によって、中国の社会主義現代化建設は新たな時期に入った。

 10年にわたった文化大革命を経て、民衆は社会が安定し、経済が発展し、速やかに現代化に向かって邁進することを強く要求した。197812月に開かれた党の113中総は、長期にわたる「左」翼的な誤りによるひどい束縛を根本から突き破り、全党の活動の重点を社会主義現代化建設に移すことを決定した。改革・開放の総方針を制定し、建国以来の党の歴史において深遠な意義を持つ転換を実現した。鄧小平を核心とする中国共産党中央は、指導思想と実際活動の中で断固として混乱を収拾して正常な状態に戻すとともに、経済建設を中心とし、四つの基本原則を堅持し、改革・開放を堅持する基本路線と一連の方針と政策をちくじ確立した。党の第12回全国代表大会は社会主義現代化建設の雄大な綱領を制定した。党の第13回全国代表大会は社会主義初級段階の理論と党の基本路線を系統的に解明した。経験の総括を通じて、党は中国の特色をもつ社会主義を建設する正しい道を一応探り当てた。

 党の113中総以後、中国は力を集中して社会主義経済建設を進め、社会主義の経済体制と政治体制をちくじ改革し、それを完全なものにし、教育体制と科学技術体制を改革し、それを完全なものにし、社会主義の民主政治建設と精神文明建設を強化した。改革・開放によって、中国経済は活力に満ちあふれ、政治生活はさらに活発になり、民族精神は新たに発揚され、国民経済は急速に発展し、総合的国力は空前に増強し、各民族人民の生活は著しく改善され、社会主義建設事業は輝しい成果をあげた。

 経済特別区の設置は、中国共産党と国が社会主義の改革・開放と現代化建設を推進するために行った重大な政策決定である。1980年8月、国務院は深セン経済特別区の設置を正式に認可した。これは中国に設置された最初の経済特別区である。20年来改革・開放という大潮と市場経済という熔鉄炉に鍛えられて、中国の経済特別区は世人をびっくりさせる物質文明の奇跡をつくり出した。

 鄧小平の一国二制度の偉大な構想に基づいて、199771日、香港は順調に祖国に復帰し、19991220日、澳門も母なる祖国の懐に戻ってきた。20世紀末のこの二つの重大な歴史的出来事は、中国共産党の正しい指導の下で、中国が強大になりつつある事実を十分に証明している。20世紀初めの旧中国がほしいままに他国に分割され、屈辱をなめつくしたことがすでに歴史となり、繁栄、富強、民主、隆盛になりつつある新中国は、すでに世界の平和と発展の重要な力となり、国際実務の中でますます大きな役割を果たしている。

 中国共産党の134中総(1989年)で生まれた江沢民氏を核心とする新しい中央指導者部は、鄧小平理論を全面的に貫徹、実行し、社会主義現代化建設事業をいちだんと発展させ、全国人民と団結して自信満々に偉大な社会主義現代化強国を建設するために奮闘努力している。そのため、中国の民衆から「前人の事業を受け継ぎ、将来の発展のために道を切り開く指導者で、われわれを導いて新時代を迎えた」と称されている。

  「北京週報日本語版」2001年No.26

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