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北京週報>>国際  
日本が広げているのは「保護の傘」ではなく野心である

 

日本の小野寺五典防衛相はこのほど、1週間にわたる訪米を行ったが、訪問の重要な目的は、安倍内閣による集団的自衛権容認の閣議決定が何を意味するかを米国側に説明することにあった。(文:賈秀東・人民日報特約評論員、中国国際問題研究所特別招聘研究員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)

小野寺防衛相によれば、集団的自衛権を容認しなければ、米軍が海外で攻撃を受けた際、日本は同盟国であってもこれを傍観しなければならず、支援の手を差し伸べられない。集団的自衛権が容認されれば状況は一変し、米軍とその武器装備に「保護」と支援を提供できるという。

安倍政権によれば、集団的自衛権の容認後は、米国と双方向的な「保護」を提供するほか、関係の密接な国にも「保護」を提供できるようになる。小野寺防衛相は、米国の戦略国際問題研究所で講演した際、南中国海の問題について、フィリピンやベトナムなどは領土の主権を守る権利を持っているが、現代では単独防衛だけでは不十分で、こうした国々は日本との関係強化を求めていると語った。言外の意味としては、これらの国々が日本の「保護」を必要としているということで、その前提は、日本がまず集団的自衛権を解禁することとなる。

日本は、米国を「保護の傘」とする現状に不満を感じ始め、米国やその他の国々に「保護の傘」を提供しようとしているのだろうか。だが強大な米国はそもそも日本の保護を必要とするだろうか。これは日本の用いる口実にすぎない。

日本の敗戦後、米国は軍隊を派遣してこれを占領し、冷戦の必要から日本と同盟関係を結び、「核の傘」を含む「保護の傘」を日本に提供するようになった。米国が日本を「保護」することには二重の意味があった。一つは、この保護と引き換えに、世界とアジア太平洋における米国の戦略に日本を利用すること。もう一つは、保護によって日本の活動を制限し、日本の戦後の政治的・軍事的な働きを制限すること。この保護は一方的なもので、日本は米国の保護の下で「専守防衛」を実行することとなった。

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