米国の戦略家たちは、こうした潜在的爆発性環境の下では、アジアの政治・経済への米国の参画が不可欠な安定要素だろうと考えている。
戦略は確かに立派だが、「安定」というのは自らの役割に対する道徳主義的評価だ。ブレジンスキー氏は「もし」、米国が地域の警察ではなく、安定化装置としての姿で出現することができれば、20世紀の破滅的戦争の再演を避けられるだろうと予測する。だがこれは「もし」、だ。
不幸なことに、米国は警察として出現している。中国の一部近隣国はこうした「支持」に誘惑され、中国との個別の領有権争いや利益衝突において米国を引きずり込み、支持してもらうことを望んでいる。
アジア各国にとって、これは決して賢明な行動ではない。偏狭な民族主義が蠢く中で形成された戦略的雰囲気は、経済融合の阻害要因となり、さらに多くの貿易紛争、通貨戦争、相互報復の保護主義行為を出現させる。もしこうした状況が出現すれば、誰も勝者にはなりえない。
アジアにはかつて、互いに学び合う時代があり、その過程で多くの共通の価値観を形成した。1990年代以降、アジアはあまねく繁栄し、互いの経済的結びつきを日増しに緊密化してきた。だが今、もし偏狭な民族主義的ムードが盛り上がり、他国が間に入って離間を煽るのを放任すれば、アジア分裂勢力をさらに強めることになる。「アジアは一体」を強調するのが正しい立場であるはずだ。アジア諸国は団結をさらに強めて初めて、分裂に対抗することができる。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年5月27日 |