“私はカタツムリ”
06年、新東方は米国のナスダックに上場し、兪敏洪さんは中国で最も裕福な教師として一躍名声が高まった。だが彼は、「私の初志が富によって変わることなどありえず、教育一筋の道を徹底するしかない」という志を明らかにした。
時々運命にいたずらされる兪敏洪さんは、いつも楽観的かつユーモアに富んだ姿勢で運命に挑戦し、しまいには死地に置いてすらも一縷の光を見出してきた。数十億もの資産を有する一介の教育機関を現代化した産業グループに発展させ、民間教育機関が米国で上場するという奇跡を作り出した秘訣に触れて、彼は「私は、這い続ける1匹のカタツムリだ。たぶんピラミッドのトップまではまだ這っていっていないが、這い続けていきさえすれば、自分を感動させる日々を残すことができると思う」と述べる。
家族企業から現代的な企業へ
今では、多忙な兪敏洪さんはほとんど郷里に帰る時間はない。だが、故郷の江陰に帰る度に、郷里の変化に驚きかつ喜んでいる。「小さいころは、江陰は小さな町に過ぎなかったが、今では大都市に発展してきた。とりわけ現在は、木も増え、環境もきれいになり、道も広くなった」と言う彼は、「国民の幸福指数は都市の発展を評価する基準で、たとえ経済がどれほど大きな発展を遂げても、国民が幸せを感じることがなければ、この発展の意義はゼロに等しいのではないか」と見ている。
新東方は、初めは兪敏洪夫婦によって創設された「夫婦の店」だった。事業の拡大につれて、近代的企業制度を構築せねばならないと兪敏洪氏は意識するようになった。そこで、親族の新東方への就職を許さないという規定をつくった。このために、多くの親戚の機嫌を損なった。しかし、家族企業から近代的な企業への転換こそ、
新東方が国際市場に進出するための基礎を打ち立てた。「企業をうまく経営するには、企業家本人の気概、目標、理想および従業員と管理者層に対する姿勢が非常に重要だ。同時に、企業の社会的責任感も企業の長期的な発展に対して重要な役割を果たすものだ」と語る彼が常に話しているのは「教育を生涯の事業として行い、非営利の私立大学を創設することが次の目標。現在の蓄積された財産は、ほかでもなく、その私立大学の運営を支えるためのものだ」という言葉だ。まさに失敗を恐れず、決して放棄しないという精神によって、兪敏洪氏は運命を変えるとともに、輝かしい事業をも成就させた。
「北京週報日本語版」2008年12月5日 |