Imprimer cet article

Commenter cet article

私が経験したこの30年――本誌報道より  
サーチナ代表取締役・端木正和氏 留学生から起業家へ

 

信念を持ち、創業にチャレンジ

1993年、第14期中央委員会第3回全体会議で「留学を支持し、帰国を励まし、往来を自由にする」という方針が正式に中央の海外留学方針にされ、これは留学生と国家の関係を変えることに非常に大きな役割を果たした。30年来、来日した数多くの中国人留学生の中で、一部の人たちは勉強が終わった後、日本で就業し、定住することを選んだ。彼らは祖国を心から愛し、積極的に日本国民に中華文化を宣伝し、日中両国の国民の相互理解を促進するために、かけがえのない役割を果たした。

1995年、端木氏は大学卒業後、日本の企業に就職した。「小さい頃から、父のような法律家の道を志しており、特に起業家になりたかったわけではなかった。しかし、卒業した時に、大学で勉強した法律の知識だけでは弁護士になりにくいことを発見した。そして、日本と中国の交流を進める仕事をしたいと思った」と言う端木氏は、会社で約三年半働いたものの、それは自分の思い描いていた仕事ではないという思いがますます募り、退職を決意した。「進学と就職を通じて感じたのは、日中間には大きな壁があり、両国国民の相互理解に誤解が起きやすいということ」と言う端木氏には、「この壁を取り払いたい、本当の中国の情報を日本語に翻訳して日本国民に伝えたい」との想いが芽生え、中国の情報を客観的に伝える日本語のウェブサイトを創立することを決意した。

退職する半年前から、端木氏はパソコンを購入してホームページの制作を独学で進めていた。さまざまなホームページを参考にし、そのソースを勉強し、検索エンジンを作成できるようになった。退職後、端木氏は会社員時代に貯めた100万円を使い、販売代理店業務を始めた。1998年6月、個人サイトとして『中国情報局』を開設した。

創業するのは簡単なことではなく、留学生の海外での創業は更に難しい。会社を辞めて安定した収入源がなくなり、端木氏は生計を立てることに奔走しなければならなかった。「お金も身寄りも人材もなく、しかも中国人のため社会的信用も得られない。日本人の創業が『ゼロ』からのスタートだとすれば、中国人の創業は『マイナス』からのスタートという状況に余儀なく追い込まれた」と彼は当時を振り返る。中国の医療器械や厨房用品からお茶や雑誌に至るまで、あらゆる商品を取り扱った。「その頃は、大きな旅行カバンを片手に秋葉原へ出向き、倒産した会社のテープレコーダーやカメラを安く仕入れて転売したこともあった。辛い日々だったが、振り返ると私の人生で最も充実していた時期だった」と彼は言う。

その辛かった時期にも、端木氏はずっと中国情報のウェブサイトを開設するという信念をしっかりと持ち続け、個人サイトを充実させていく過程で、だんだん多くの同じ夢を持つ仲間に出会った。みんなの協力で『中国情報局』は急速に成長していった。1999年9月、『中国情報局』が法人化され、株式会社サーチナが正式に設立された。「日中の友好関係を保つための一つの方策として、分散している中国情報を体系化し、共有することが必要だと気付いた」端木氏は、「『中国情報局』を自己満足の『作品』にするのではなく、市場価値のある『商品』に転換する必要がある」と考えた。

2008年10月、優れた起業家として「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」

(EOY=Entrepreneur of the Year)を受賞した端木正和氏

   前のページへ   1   2   3   4   次のページへ  

トップ記事一覧
インフレは依然、経済最大の潜在的懸念
「タイガーマザー」論争、どんな母親が優れているのか?
中国、水利整備を加速
潘魯生氏 手工芸による民族文化の伝承
特 集 一覧へ
第7回アジア欧州首脳会議
成立50周年を迎える寧夏回族自治区
現代中国事情
中国の地方概況
· 北京市  天津市 上海市 重慶市
· 河北省  山西省 遼寧省 吉林省
· 黒竜江省 江蘇省 浙江省 安徽省
· 福建省  江西省 山東省 河南省
· 湖北省  湖南省 広東省 海南省
· 四川省  貴州省 雲南省 陝西省
· 甘粛省  青海省 台湾省
· 内蒙古自治区
· チベット自治区
· 広西チワン族自治区
· 新疆ウイグル自治区
· 寧夏回族自治区
· 澳門特別行政区
· 香港特別自治区