でも、普通の中国人にとって、携帯メールの役割は事情の伝達や感情の交流に止まっているわけではない。官界風刺のメールが上位3位にランクされている。このようなメールは時弊をずばりと言い当てることで転送率が非常に高い。例えば、「“しっかりつかむ”とは、会議を開くこと、“管理”とは料金を徴収すること、“重視”とはスローガンを貼り付けること、“実行”とは口先だけうまいことを言うこと、“検収”とは酒を飲んで酔うこと、“検査”とは宴会を張ること、“検討”とは責任のなすり合いをすること、“政治的業績”とは大ぼらを吹くこと、“総括報告”とは大げさに吹聴すること、“値上げ”とは国際規準に合わせること」などというものだ。このような冗談まじりの詩は、民衆の官界に対する風刺であり、役人たちが反省すべき鏡でもある。
中国の改革が深まった後、携帯メールの「スーパーパワー」もこれに連れて爆発し、読んだ人々の会心の笑みを誘うだけの簡単なものではなくなった。携帯メールはブログ、掲示板、チャットとともに強大な「新メディア」の力となっている。社会の隅々まで、このいわゆる「第5メディア」の下にさらけ出されているため、一部の社会学者は、民意伝達の真新しいルートはすでに自ずとできていると見るほどになった。
2007年は携帯メールの「解放年」と中国のメディア界に見なされている。この年、1件のメールが同時発信され、厦門で発生したPX(パラキシレン)事件に「一場の風波」を巻き起こしたからだ。
専門家は「この事件は、既存のメディアが沈黙を守り、意見を述べる通常のルートを利用しにくい時、携帯メールを代表とする『新メディア』が突然登場し、重苦しい難局を打ち破り、信じられないほど重要な役割を果たしたことを実証した」と見ている。
百万に上る厦門市民は2007年5月下旬から、PXの危険性に関する携帯メールを互いに転送していた。このメールは1件から100万件に増え、さらに社会の底辺の強大な民意を凝集して、最終的に指導層に伝えられた。厦門事件は特殊性を持つものとは言え、携帯メールがすでに無視できない存在となり、民意を載せた尊重すべき担体となったことは事実だろう。
07年3月4日(旧暦正月15日の上元の日)に北京で開かれた第10期全人代第5回会議準備会議の休憩時間に、参会した女性代表たちは親友に祭日のお祝いを携帯で送ることも忘れなかった。 | 注意すべきなのは、ここ数年、政府側も携帯メールの持つ効果に対して融通を利かせて活用するようになったことだ。第17回党大会の期間中は、「携帯電話新聞」がマルチメディア・メッセージング・サービス(MMS)の形で登場した。今年の旧正月(春節)期間には、江西省党委員会書記と省長が携帯メールで省民全体に新年のお祝いを送ったり、氷雪被災地区で救助を実施している人たちを応援したりした。数年前、中国のある大都市の市政府は、路面沈下という突発事故が発生した後、直ちに応急対応プランをスタートさせ、携帯メールで市民全体に事故を知らせ、交通をスムーズに誘導した。
もちろん、携帯メールにはよい面ばかりでなく、セクハラや詐欺といった醜悪な面もある。しかし、肯定できるのは、携帯メールというものの出現で、中国民衆にとって意見発表のルートが増したことだ。「情報爆発」の時代にあって、改革・開放の道を30年も歩んできた中国人は、携帯メールの発信・受信を楽しむことを望んでおり、首をすくめた“ダチョウ”にはなりたくないのだ。
「北京週報日本語版」2008年11月28日 |