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庶民の生活  
改革開放30年来、青年の就職観に変化

 

配属先指定に服従――計画経済体制の残留期間・1978-80年中期

78-80年代中期、計画経済体制の影響から、農村の青年は多くの農民と同様、自由に移動することはできなかった。都市の青年の間では、高等教育が依然として高度に集中された計画管理モデルとして存在し、就職については「統一管理」が実施され、国が包括的に仕事を分配した。この期間、青年の職業選択観は受動的、単一的だった。

職業選択の傾向では、比較的受動的だった農村の青年は、ごく少数の大学試験に合格し運命を切り開いたケースを除けば、大半が父の職業を引き継ぎ、集団で土地を耕作する、あるいは田畑を世帯に配分する「家庭共同生産請負責任制」を担った。いずれも農耕が主体だ。都市部では、大学生でない青年の間でも「後継ぎ」が多数を占めた。父の仕事を引き継ぐというものだ。中・高等教育を受けたインテリ青年は、社会の就業制度、招聘制度が硬直的で柔軟性に欠けていたため、すべては社会の要請に従い、国による配属に従うことが強調された。

職業選択の基準は政治に偏っていた。農村の青年は農業に従事することが基本であったことから、職業選択の余地はなかった。都市の青年は職業を選択するに当たって主に、異なる職業を評価する基準として政治的地位と社会的地位を第一とした。1984年の「中国青年の就職問題」に関する調査で、当時の青年が職業を評価する際に社会的地位、社会的意義、個人の才能の発揮と報酬を重視していることが分かった。

職業選択の意向。政治と工業が重視され、農業と商業が軽視されていた当時、青年が就職するに当たって最も重く見たのが「政治的地位」と「社会的地位」だ。当時流行した「傷痕文学」(「苦しさの訴え」)は、やはり当時の「上山下郷」(学生が農山村の建設に協力する)状況を具体的に示すものであり、それは拭い去ることのできない「傷痕」となっている。大学統一試験が再開されて数年間、さらにより長い期間にわたり、「上山下郷」した青年の「都市戻り」で人口の移動は壮観さを呈した。都市部では、ビジネスは依然として軽視されており、大学生の大半は理系に興味を示し、追い求める理想の職業は「科学者」や「エンジニア」だった。職待ちのごく普通の青年は就職することを第一に考えていた。実際に活路が見いだせなければ、「個人営業」や商業、サービス業などの第3次産業に従事しなければならなかった。

だが、社会が発展するに伴い新たな人材が求められるようになったことで、多くの青年の就職の考え方や方法は様変わりした。

開放へ――「農民労働者ブーム」と都市インテリ青年の双方向の選択・80年中期-90年中期

農村青年の就職の考え方は次第に開放的になり、 「家庭共同生産請負責任制」がもたらした大量の農村余剰労働力の拡散と同時に、都市部の労働力、とくに企業や建築業界の農村労働力の大量需要により、戸籍制度や穀物・油供給制度、就職管理制度もやや緩和された。その後、政府は再び一連の政策と措置を策定し、農村労働力の地域的交流、都市部と・農村部の交流、貧困地区の労働力輸出が許可、奨励されるようになる。その結果、大量の農村労働力の地域を超えた流動「農民労働者ブーム」が沸き起こり、農村青年の就職観も次第に開放されていった。

都市部での就職の変化は主に、インテリ青年の間に見られる。大学卒業生の就職制度は85年から段階別、層別に徐々に改革が行われるようになった。89年に提起された改革目標は、国の就職方針・政策の指導を受けながら、卒業生の職業の自主的選択と、雇用側の選択・採用という「双方向の選択」制度を徐々に実施することだった。この改革は競争メカニズムを大学に導入し、卒業生の就職を徐々に市場化させるというものである。青年の就職で最大の変化は、「経済的地位」が職業選択時に最も優先的に考慮する要因となり、長年にわたり支配してきた「社会的地位」と「政治的地位」を超えたことだ。第一の選択基準となった「経済的地位」については、以下の点に具体的に表れている。

第1は、経済特区や沿海部の外国との合弁あるいは「三資」(合弁・提携・現地法人)企業での仕事を希望するようになったことだ。北京の千人の学生を対象にした調査で、職業を選択する場合、卒業後に経済特区や沿海部の開放地区での仕事を希望すると答えたのは「40%」近くを占め、合弁企業を第一に考えていることが分かった。

第2は、高学位は求めず、高収入のみを求めるようになったことだ。80年代後期から大学院受験生は急減し、87-89年に中途退学した院生は全国で約700人にのぼった。この時期、理工系に興味を示す大学生は5割以下まで減少、「知識の大逃亡」とも呼ばれた。「貧しさは、まるで教授並み、愚かさは、まるで博士並み」といったはやし言葉は、当時の奇妙だが真の社会現象を反映している。

第3は、第2の職業や職業の流動性が広がったことだ。80年代中・後期にかけて青年たちは転職するようになり、職業の流動が表面化した。多くの青年が「最初の仕事で求めるのは安定、第2の仕事で求めるのは豊かになること」を唱えたことで、卒業したばかりの大学生の間で「まずは安定」、そして「より良い仕事を見つける」と考える傾向が強まり、人材の流動は次第に活発になっていった。「国営-集団-合弁-現地法人」と、国営から三段跳びの職業選択も出現。こうしたことから90年代には、「国有企業」は労働者が急減し、「集団企業」は従業員が相次いで流出し、「三資」は人材が豊富となった。とくに93-94年になると、大学生が沿海部の開放地区に集中する現象が際立った。

第4は、経済的収入が職業選択で第1の基準になったことだ。当時、青年が職業選択にあたり考慮した第1の要素は収入と福利厚生である。最も好まれた業種は、金融保険業、工業関連企業、国家機関、サービス行、科学研究機関の順。

職業の自主的選択――出世を求める多元化時代・90年代中後期-現在

農村の青年が就職するようになったのは90年代中期から。農村の土地に縛られることがなくなり、自由に都市部に入ることができるようになったことで、多くの青年が都市で仕事をし、生活し、また定住した。社会の発展に伴って、衣食のために職業を選択することはなくなり、働きに出るのは「金もうけ」が第1の原則ではなく、「経済的に余裕があり、理性のある人」をイメージに出世することを優先するようになった。都市での「過客」に甘んじることもなくなり、出世のためのチャンスを懸命に切り開き、都市の一員になることを願った

都市の青年もこの期間に「職業の自主的選択」、あるいは「起業」の道を歩むようになる。改革開放が一段と進むに伴い、とくに世界貿易機関(WTO)加盟後、社会状況は大きく変わった。大学の募集枠が拡大され、大学卒業者数が年々増加する一方、政府機関のリストラ、国有企業の従業員削減と効率向上、一時帰休者の再就職など、就職問題が突出し、状況は非常に厳しくなった。

この期間、大学生を主体とするインテリ青年の職業観は大きく変わった。

先ず、選択基準の面で将来性、能力を発揮するチャンス、給与や福利厚生、仕事の環境を重視したことだ。

次に、職業意識の面で、機関や非営利事業団体、企業事業体と国有、集団、個人事業者との間の等級観念が次第に消えていき、「起業も就職」という考え方が広く受け入れられたことだ。

第3は、職業の選択意向の面で、「工業重視・商業軽視」から「工業・商業共に重視」へと変わり、過去軽視されたサービス業が人気を集めたことだ。

第4は、職業評価の面で、政治色が一段と薄れ、自らの趣味にあった職業に憧れるようになり、物質的なものと精神的なものを同時に求めるようになったことだ。

第5は、就職場所と父母の所在地との距離の面で、父母や他人への依存心が弱まったことだ。「資格取得ブーム」や「外国語ブーム」「出国ブーム」などはまさに自主的意識が強化されたことを物語っている。

第6は、果敢に起業し、受動的就職から自主的起業へと変わったことだ。中国共産党青年団中央は02年に「中国青年就職・起業ネット」を立ち上げたが、各地方の青年団組織も相次いで設立、青年の就職と起業を支援する措置を打ち出した。

結論:青年の就職に見られる3つの傾向

上述したように、青年の就職と出世は当時の社会政策や社会の要請に基づくものだが、総じて言えば、こうした変化には3つの傾向が見られる。

自主化――主体性がますます強まったことである。3つの段階での青年の就職の変化過程から見ると、青年とくに農村青年の間で就職にあたって主体的意識が次第に強まり、「自主性」がますます際立ち、国の制度がもたらした社会構造の規制から解放された。国が次第に「監督」の地位から退き、青年の就職に直接的な責任を負わなくなったからだ。また父母という家庭の要素がもたらしたミクロ面の制約からも次第に解放された。都市部から農村部の青年まで、就職の地理的空間が大幅に拡大し、県から省、国へとまたがり、基本的に家(父母の所在地)の遠近を考慮することがなくなったからだ。

実務化――政治色が薄れたことである。改革開放30年来、経済の地位が徐々に向上し、青年の就職観でも経済的志向が高まり、経済意識が強まった。青年が経済意識の強まりとともにより主体的に市場経済に身を投じるようになったことは、国の「発展こそ強固な道理」という考え方を示すもので、この転換は実務性を具体的に示しており、質的に飛躍したことでもある。だが、改革が進むにつれ、青年の就職とくに大学生の間の公務員ブームという「官僚経済」がこの数年、再び脚光を浴びるようになったことは、中国の行政システムでの経済的機能が、頭脳労働者よりも肉体労働者が重視された時代とはすでに同一レベルで語れなくなっていることを物語っている。

多元化――選択の幅がますます広まったことである。社会の変遷と就職状況の変化に伴い、青年の就職は単一的だったが、ますます多元化されるようになった。職業のタイプは、公務員や科学研究所、国有企業、外資系企業、民間企業、また大都市や省政府所在地、沿海部、東部の経済発達地区の農村、西部の辺境・貧困地区などを選択するなど多様化した。また「非正規」さらには「就職しない」ことを選択する青年もいる。個人営業や自由業、出国などだ。

「チャイナネット」2008年10月14日

 

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