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庶民の生活  
中国の飲食業の30年間
グルメ流行のリード役

 

時代の流行の発展・変化を顧みることは飲食業という開放的業種にとって非常に必要である。

私たちはある人の物語から言い始めたい。陸徳逸さんは上海の街角ではオーソドックスな「老克勒(粋なおじいさん)」と言え、年じゅう背広姿で、真っ白いシャツの衿が目つき、革靴はぴかぴかに磨かれ、出かける際必ず香水を身につけていた。80歳以上の老人なのに、腰はピンと伸ばされている。「『文化大革命』の時、造反派のつるし上げを食ったあと家に戻っても、私は相変わらず『白斬鶏』(広東料理風のニワトリの料理法でつくったもの)を食べるのでした」と彼は記者に語った。陸さんの父親は旧上海市で時計店を営んでいたことがあり、陸徳逸さんはその店の若だんなであり、衣食に憂いなしという生活のおかげでグルメ党となった。上海街角の特色のあるホテルと西洋料理のレストランについては、彼は立板に水のように数えることができる。「文化大革命」期に、この「寄生虫」は落ちぶれ、模様入りの旧いラシャ背広を作り変えた学生服を着て、そのイメージはいかにも滑稽で、都会の孔乙己(魯迅の小説の中の人物)のように、毎日「金中」という店に行ってコーヒーを飲んでいた。いわゆる「金中」とは金陵中路(大通り)の柳林道路の入口にある飲食店であり、その全称は「金陵中路飲食店」であった。この店の主なメニューは年じゅうマンジュウ、ワンタン、ニワトリ・アヒルスープなどの軽食で、夏はかす漬けのタニシ、冷麺(調味料を入れた冷たいウドン)およびカレー牛肉スープなどが加わった。たとえ「文化大革命」期においても、それは依然としてこりることなくコーヒーを売っていた。コップ一杯0.11元のコーヒーを普段お湯を飲むガラス・コップで飲むのであった。午後14、15時のごろ、おじいさん、おばあさんたちがここに来て1人ずつコップ一杯のコーヒーを買い、アルミニウム製のスプーン、またはハシでそれをかき混ぜてゆっくりと飲んでいた。「まったくの時間つぶしであり、ときにはコーヒーを飲んでいて、いつのまにかおなかがすいたと感じ、ついでに料理も食べようと思ったが、ポケットには一銭もなくなり、よだれを飲み込み、引き続きみんなと大法螺を吹きつづけるほかありませんでした」と陸さんは語った。

「文化大革命」終了後、おじいさん、おばあさんたちはトランクの底に数年間もしまわれていた洋服、ネクタイと先のとんがった革靴などを出し、おしゃれをして外を出かけた。「それはなんと言われていたのですか?流行を追っかけていると言われました。たとえ最も困難な時期においても、上海の人たちも生活の質に対する追求をあきらめることはありませんでした。美しい物事を追求することは人間の本能と権利です」と陸さんはさらに語った。

現在、あの2軒の店はいずれも姿を消し、前者の敷地に金鐘プラザ、後者の敷地に瑞安プラザが建てられた。「金陵中路飲食店」で働いたことのある人はおそらくもうすべて老人となっているのだろう。しかし、彼らは上島、真鍋、スターバックスなどという「コーヒー業の新参」の前で、まったく先輩の誇りを保つことができる。

改革開放の初期、上海市の飲食市場は春の川水のように速やかに暖かくなった。1978年の混乱な局面が整頓を待っていた時、上海市飲食会社は市全体の範囲の飲食企業の名物特種料理・軽食品コンクールを催し、これは飲食業の基本状況を点検する意味を持つものであった。この活動は各流派の料理店、レストラン、ホテルのために名を正し、名物特種料理・軽食品を経営する料理店、レストラン、ホテルの目玉料理・軽食品は整備と発展をとげた。飲食業の発展は市場のニーズにも応えた――社会が安定し、上海の人たちはカネがあるとおのずから飲食消費の面で速やかに反応するものであった。陸徳逸さんの記憶によると、1977年から1982年までの5年間は上海市の飲食市場の復活期であり、料理店・レストランの顧客は川の中を泳いでいる魚群のようで、「燕雲楼、新雅、同泰祥、甬江状元楼、老正興、老半斎、杏花楼などというレストランはこれまでに『四つの旧いもの』(旧い思想、旧い文化、旧い風俗、旧い習慣)といわれていたが、今ではすべて古い店名を回復した。上海の人たちはそれに対し感情を保ち続け、レストランに行って食事をすることは古い友人と面会しに行くようであり、レストランの商売は非常ににぎやかで、毎日食事の順番を待つ人は長い列を作っていた。」

続いて、上海市のコックさんは何回も国際料理コンクールに参加し、金・銀メダルに輝き、天下無敵の勢いであった。さらに直接的な変化は企業の分配制度改革の後に起こり、従業員たちの意欲がぐっと引き出され、企業の利潤は立ちどころに従業員の所得にはね返った。このため、各レストランはみずからの特色を持つ料理に力を入れ、あの手この手でお客さんをすべて自分たちの店に引き入れる気持ちであった。

飲食業の潮流はそれから波が巻き起こった。三黄鶏(羽毛、皮膚、肉がすべて黄色なので、この名がつけられた)を食べることが大変な流行となり、野生動物・猛禽・海の幸を食べることも大流行となり、重慶の火鍋子(寄せ鍋)がはやり出してまもなく、潮州料理の精緻さに人々の目が肥えるようになり、大王蛇料理が上海の人たちの胆を大きく鍛え、ロブスターの刺身が人々にわさびの辛しさを味わわせ、鉄板焼きの牛肉がまだビリビリと焼き上げられているうちに、アヒルスープを待っているお客さんがテーブルを叩き出した。さらに続いては、香辛カニ、十三香小ロブスターという料理が流行り出し、その後従来から宴席にのぼることのなかった頼尿エビもこともあろうに幾千幾万の顧客を引き付けてわれ先に味わい出した。今日の上海の飲食市場はとっくに16の流派がそれぞれ一方を独占した状況ではなくなり、フェアに競争し、適者生存ということになった。これまで姿さえ見えなかった雲南料理、貴州料理、広西料理、東北料理および新疆、チベット、内蒙古自治区から来た地方色豊かな料理も次々と上海市に進出し、上海市は中国のグルメの大舞台となった。

金銭豹飲食グループは2003年に中国市場に進出し、最初の立脚点として上海の中信泰富プラザを選んで国内で最初の店を開設した。国際複合型のセルフサービス料理の形はとっくに台湾で広がり、しかも成熟した経営モデルと経験をもつものとなった。このモデルが上海の飲食市場に導入されたことは、飲食業のウルトラ級空母の進水を示すものとなった。この大きなレストランで、記者は日本料理、中国料理、西洋料理、海の幸料理……約100人のコックさん、板前さんが現場で調理し、世界各地から来た特色を持つ食品原材料は新鮮さを確保するとともに、種類・品種の多様性が人々に大いに注目させることになった。金銭豹レストランのような大規模な飲食場所は上海市にはまた数軒ある。これらの飲食企業の進出は上海市の飲食業の枠組みを変えることになろう。

「チャイナネット」2008年10月15日

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