1972年、中米関係が「正常化」の方向へ重要なブレークスルーを実現し、この歴史的激変は世界で「原子爆弾の爆発」のようなセンセーションを巻き起こしたばかりでなく、中国の国民も十分な心理的準備はなかった。したがって、ニクソン米大統領の訪中前後の期間に流れていたうわさは非常に中国の特色を持つものであった。
うわさによると、当時アメリカ国家安全特別補佐官のキッシンジャー博士が数人の助手を連れて上海市に着き、中米国交樹立コミュニケの難問が杭州で解決されたばかりなので、博士は1万元を出し、国際飯店に頼んでひとテーブルの客席料理を作ってそれを祝った。その時、上海市のホテルの宴席の規格は大体平均ひとテーブル25-35元で、20元のものもあり、10人の男性が席を囲んでもおなかいっぱい食べることができた。1万元でひとテーブルの客席料理を作ることは、上海のコックさんの原材料利用レベルにとって確かにきわめて大きなチャレンジであった。しかし、頭が切れるコックさんたちはお客さんにひとテーブル1万元の中国料理を召し上がってもらった。キッシンジャー博士は宴会の後、このテーブルの料理は本当に1万元もするのですかと尋ねた。コックさんはその中の「もやしとロブスターのひげの炒め」という料理を指差して、「毎本のもやしに肉の細切れを嵌め込むだけでも、計算して見なさい、いったいどれぐらいの人手が要るのですか?!そのほか、このロブスターのひげについて言えば、1匹のロブスターは2本のひげしかないが、これぐらいのひと皿の料理を作る場合、どれぐらいのロブスターを必要とするのですか?!」と答えた。コックさんはアメリカの友人たちが信じないことを心配して、炊事場から十数箱のひげを切り取ったロブスターを運び出して博士にはっきり見てもらい、アメリカの友人はついに口先でも、心の中でも承服した。
その時、すでに物資欠乏期の末期であったとはいえ、飲食業を制約する決まりと枠が依然としてたくさんあり、企業の所有制の性格が競争の不公平をもたらしていた。1つの典型的な例を挙げて見よう。南京路(商店街)の沈大成という店は全人民所有制の著名な老舗であり、上海風の軽食で名が知られ、その春巻き(小麦粉をこねて薄く延ばし、肉・野菜などの餡を入れて細長く巻き、それから油で揚げて食べるもの)、ワンタンと双面黄などの軽食はいずれも精製小麦粉で作ったものである。隣の料理店は集団所有制のものであるため、同じ軽食も標準小麦粉、つまり上海の人たちのいうふすまの混じった小麦粉で作る以外になかった。販売価格の面では、上海市飲食会社と物価局も厳格な規定を設け、例えば、標準小麦粉でつくったワンタンは1碗0.1元で売る以外になく、精製小麦粉で作ったワンタンは1碗0.12元で売れた。その他の軽食も同じであった。
成明方氏は上海市静安区のある中規模のレストランの支配人であり、30余年もこの仕事にたずさわり、彼は感慨深けにその時の原材料の供給状況を次のようにふりかえった。「食用油、砂糖、小麦粉、米、マメ類などはいずれも計画に従って供給されるものであり、ソーダ、みょうばん、重炭酸ソーダさえも所定の供給ステーションで購入しなければなりませんでした。ブタ肉と家禽も計画に従って供給されました。私はその時仕入係であったため、青物市場の人たちと知り合いになり、ブタ油、魚・エビなどをいくらか余分に購入することができました。多くのレストランでは原材料の不足のため、やっと月末まで維持することしかできませんでした。石炭も計画に従って供給されるものであり、往々にして月末まで燃やすことができず、製鉄所から数トラックの石炭の燃え殻を運んで来て、まだ完全燃焼していない石炭を選び出して急場をしのぶことを余儀なくされました。」
「チャイナネット」2008年10月15日 |