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農村改革  
華僑・華人の目に映った改革開放30年
4回の親族訪問で見た郷里の30年間の大きな変化

                            

                          謝阿杏(シンガポール)

シンガポール在留の83歳の華僑である謝阿杏さん。30年余りの間に、謝さんは4回も郷里の福建省東山県前楼鎮岱南村に帰省し、自分の目で郷里の変化を見た。この8月の帰省に触れて、「改革開放30年間における中国農村の変化は、本当に大きいものだ」と感嘆した。

         古着の奪い合いから「四大財産」の譲り合いへ

私は福建省東山島白埕村のある貧しい家庭に生まれ、幼いころから近くの岱南村の謝家に送られて「童養媳」(息子の嫁にするために幼い時からもらったり買ったりして育てる女の子。息子が成人するまでは下女として働かせる)になった。18歳で結婚したが、その翌年には生活に困って、夫の謝阿花に従って涙で身内と別れ、東南アジアに行って生計を立てざるを得なかった。

1977年9月、私と2人の女性の連れは初めて、帰省のためにシンガポールから客船に乗って、10日後に汕頭港に着き(当時は汕頭、廈門への直航便はなかった)、それから列車に乗り換えて岱南村に到着した。長兄の家の3代にわたる20数人、特に子供たちは、私が持ってきた食物や衣類、品物がいっぱい詰まった二つの木箱を見ると、誰もかもが大喜びだった。同じ村の親戚や幼馴染たちも、私という外国帰りのおばさんの話を聞いて、続々と訪れてきた。長兄と話し合った結果、私は持ってきた古着や塩漬けの豚肉、米、メリケン粉、洗剤、マッチなどを、平均に3戸に分けたが、親族たちはやはり藍色の布1枚のために、顔を真っ赤にして言い争い、1着の古着のために口喧嘩までした。

ああ、無理もない、郷里はあまりにも貧しいのだ、と感じた。人々は十分食べられないし、着るものにも事欠き、女の子は6、7歳になってもお尻を丸だしにしていた。また住居も、まだ1940年代の古くてボロボロな瓦ぶきの部屋で、石油ランプさえ使えず、村の内も外もぬかるみの道だった。

だが、16年後の1993年8月に2度目に郷里に帰った私は、今回は、華僑同胞の帰省に人気を集めた「4大財産」(自転車、ミシン、腕時計、テープレコーダー)および新しい生地や衣服を持って帰ってきた。そして、思いもよらなかったのは、皆が何回も分ける物を譲り合ったことだった。

              過去となった水を待ち望んだ日々

代々水不足で苦しみを嘗め尽くした郷里の人たちは、中華人民共和国の発足後、各級政府が井戸を掘ったり、貯水池を作ったり、水を吸い上げたりするなどの措置を講じても、依然として飲用水不足の境遇にさらされていた。そのため、主婦たちは夜となく昼となく水のために苦労して走り回っていた。

1回目に帰省した時、村人たちが飲んでいた水は渋くて塩分がある濁った池水、井戸水だったことを今でも覚えている。私に淡水を飲ませるために、長兄の息子はわざわざ人を雇ってハンドトラクターで県都から水を買って運んできたのだ。その1担ぎの水は5元もしたそうだ。

2007年10月、3回目の帰省の時には、折りよく岱南村で水道水工事の完工式を行っているところだった。村の千戸余りの約4千人が水道水を使うことになった。清潔な水道水が引かれたことで、人々の生活は便利になって、衛生状況もよくなり、6割以上の村民が湯沸かし器を使い、長兄の家も太陽エネルギーの湯沸かし器を使うことになった。

         枕元に置く便器から「星付きクラス」の洗面所へ

帰省期間中、最も不便なのは、住居の中に洗面所がないことだった。当時、村人たちは戸口か近所に穴を掘って露天のトイレをつくり、そしてどの家庭もベッドの枕元に便器を置いていた。そのため、前の2回帰省した時、私は県都にある「華僑旅館」に泊まり、昼間に村に入るしかなかった。

1993年8月、2回目の帰省の時、村には公衆便所が登場しており、一部の農民が新たに建てた家屋や旧い住居を改築した家屋には洗面所が付いているのに気づいた。長兄の低くて狭い部屋も2階建ての住居に拡張して、建築面積は倍増した。

去年10月に3回目の帰省を果たしたとき、岱南村はもっときれいになっていた。長兄の3人の息子と4人の孫はみな3、4階建ての洋風の建物や別荘に住むようになっており、室内には「星付きクラス」の洗面所があるだけでなく、造作も決して3つ星クラスのホテルに劣っていない。そして、一日中、太陽エネルギーによる湯沸かし器でお湯を使えるようになっていた。台所は広くて明るく、昔は一日50キロぐらいの薪を焚いたかまどは姿を消し、それに取って代わったのが液化ガスや電気炊飯器、電磁ストーブ、電気冷蔵庫だ。かつては至る所に見られたブタ小屋、露天の公衆便所も見えなくなった。

現在、郷里に帰ると、食事と水が前よりずっとおいしくなったと思う。前2回の帰省のときは、旅館で10数日泊まってから急いでシンガポールに戻ったが、去年の帰省のときは村で1カ月余り泊まった。以前は郷里の生活条件が良くなかったため、子どもや孫たちを連れて一緒に帰省する勇気はなかったが、現在、各方面の条件が整ったため、今年8月には彼ら13人を連れて郷里に帰った。初めて郷里に来た一番上の孫の謝玉生君は、「おばあちゃん、今の中国農村の生活レベルはシンガポールより劣ってはいないんだね」と喜んで話した。

「北京週報日本語版」2008年10月28日

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