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【40代から始める日本人の中国生活の記録】中国で暮らす日本人
本誌記者・植野友和  ·   2022-08-30  ·  ソース:北京週報
タグ: 日本人;在中邦人;中日交流
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在中邦人に見られる傾向  

外務省の「海外在留邦人調査統計」によれば、昨年末時点での在中邦人の総数は10万7715人であったという。新型コロナウイルス感染症により人的往来に制限がある中、これだけ多くの日本人が中国で暮らしているのは驚きだが、両国の深い結び付き、地理的近さを考えれば、この数字は当然のものとも言える。

さて、自分は引きこもりと言ってもいいほど内向的ではあるのだが、それでもこちらで生活をしていると在中邦人の皆さんと交流を持つことがたびたびある。大半はかつて筆者が語学留学をしていた上海在住の人々で、後にはネットを通じて中国各地の方々とも知り合うことができた。その経験を通じて分かったのは、在中邦人には一定の類型や傾向があるということだ。


最初に言っておくと、中国で暮らす日本人といっても職業や年齢、収入、居住地など人によってさまざまで、地元の人々と同じ生活をして完全に現地化している方もいれば、大企業の駐在員として数年働き、ほとんど中国語を覚えずに帰っていく方もいる。そうかと思えば最初は会社の辞令で訪中したが、こちらで生涯の伴侶を見つけたり独立してビジネスを始めるなどして、中華の大地に骨を埋める覚悟でこの国に馴染んでいる強者もいる。多様な人々がいる以上、「在中邦人とはこうである」とひとくくりにして何かを言い切ることには、そもそも困難が伴う。以下はあくまで筆者の私見、もしくは仮説であることをご了承の上、お読みいただければ幸いである。 

まず第一に挙げられるのは、収入の多さは時として中国理解の邪魔になるということだ。

全ての方がそうであるとは言わないが、こちらで暮らす日本人にはやたらとステータスを気にする人がいる。上場企業の駐在員で年収何千万円という人と、現地企業勤務で収入もそこそこという人では生きる環境が違うのは当たり前とはいえ、それが互いの交流の妨げとなったり、時にはマウントの取り合いに発展したりする。 

幸い、自分はおっさんであり、他者の評価がもはや気にならない年頃である。「四十不惑」と言えば何か立派に聞こえるものの、人様の視線を何とも思わないので、髪型や服装は適当になる。それはそれで問題ではあるのだが、いずれにせよ過剰な自意識からは解放されている。そんな自分にとって興味が湧くのは駐在員の方々ではなく、現地企業に勤めて中国に溶け込み、下手すれば完全に同化してしまった日本人である。 

給料や会社からの手当てが多い方がいいのは当たり前。だが、お金がたんまりあることで、中国暮らしで遭遇するさまざまなトラブルを回避できてしまう。これも言うまでもなく、揉め事なんて避けられる方がいいに決まっているのだが、筆者の経験則から言うと困難に直面した時こそ、その人にとって大きな学びの機会となる。 

通訳兼秘書が常にフォローしてくれればそれは便利には違いないけれど、言葉を覚えたり現地の習慣を吸収しようとするモチベーションは生まれない。住んでいるマンションの天井からいきなり大量の水が漏れてきたり、オンラインで予約したホテルに着いたら受付の人に「そんな名前はない」と言われて口論になったり、はたまた国際結婚するに当たって普通語が話せない相手の家族にあいさつに行ったり……そういう試練を自力で乗り切ってきた人の話は単純に面白く、自分にとっても学びになる。「入乡随俗」(郷に入れば郷に従え)においては恵まれていることが必ずしもプラスにならないというのは、かなり確信を持って言える筆者の考えである。

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