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病める時も健やかなる時も中国の人々に寄り添う 日本人編集者の新型肺炎との戦いの記録
本誌記者・植野友和  ·   2020-02-19  ·  ソース:北京週報
タグ: 新型肺炎;日本人;社会
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在宅勤務をする筆者

新型コロナウイルスによる肺炎との戦いが今なお繰り広げられている中国に、留まることを決意した多くの日本人がいる。

その思いに至った理由は人それぞれで、一概に言えるものではないが、残ると決めた人々のうちおそらく誰もが直面している「問題」がある。それは感染への怖れでもなく、生活上の困難でもない。日本の家族や友人などから日々送られてくる「危ないから早く帰国した方がいい」という電話やメッセージへの応対だ。

武漢市が封鎖されて既に3週間以上が経つが、自分はその間北京で暮らしていて、身の危険を感じた瞬間は一度としてない。

未曾有の事態にありながら、街は平時以上に秩序が保たれ、生活必需品も滞りなく手に入る。人々は一刻も早い収束を願いながらも、その表情に暗さはない。むしろ人々から感じるのは湖北省の第一線で戦う医療従事者に対する心からの敬意であり、新型肺炎との戦いを必ず克服するという揺るぎない自信である。

一言でいえば、海外メディアがしばしば報じるような混乱など見られない。感染状況に関する情報は逐次公開されており、それらをもとに冷静な判断を下せば、過度に恐れる必要などなく、今すぐ母国に逃げ帰る理由も見当たらない。このことを日本にいる友人や家族に説明するのがひと苦労、というわけだ。

友人などが口を揃えて言うことに「異国で何かあったとしても、誰も助けてくれないのだから」というものがある。これも何度反論したかもはや覚えていないほどだが、中国人とは情熱的で義に厚く、ほとんど天性と言ってもいいほどの世話焼きである。

この国に住み始めて、どれほど多くの人々に助けてもらったか、数え上げればきりがない。彼らはひとたび友人となるや、相手が困っている時には損得抜きで手を差し伸べる。このような人々に囲まれて暮らしている自分が、どうして不安に駆られることがあろうか。中国に残った日本人たちは、誰もが多かれ少なかれ同じことを感じているはずだ。

むしろ自分にとって本当の意味で危機を感じた時というのは、この度の新型肺炎ではなく2011年の東日本大震災である。原子力発電所の爆発がライブ中継で報じられたあの瞬間、日本列島はパニックに包まれた。この世の終わりというものは、本当にあるのかもしれない。自らの身の安全という小さな話ではなく、われわれの社会そのもの、そして日本という国自体が明日を迎えられないかもしれないという恐怖を、生まれて初めて味わった。

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