2015年7月12日~29日、張健さんは内蒙古から北京までの道のりを車椅子で走破した。走行距離は500キロにも及んだ。
張さんは内蒙古のウランチャブ(烏蘭察布)を出発し、国道110号線沿いに北京を目指した。18日にわたる旅の間、伴走者らのサポートの下で、張さんは急な坂や雨天走行、タイヤのパンクなど度重なる困難を克服し、この「普通の人には想像もできない」冒険旅行を成し遂げた。張さんは今回の旅を通じて、体の不自由な人々が外出する上での施設建設の現状に対する社会の注目を喚起し、「バリアフリーな外出」の理念を普及させたいと考えている。
張健さんは1981年、山東省臨沂市に生まれた。うっかりして小児麻痺を予防する経口生ポリオワクチンを接種しなかったため、最初に風邪を引いた後麻痺が起き、立ち上がることができなくなった。張さんの家は経済条件がよくなかったが、治療はあきらめなかった。2年にわたって針灸治療や3度の大手術を行った結果、張さんは手で両足を支えてしゃがんだ状態で歩くことができるようになった。父親はずっと張さんが四肢の健全な人とつきあうよう励ましてきた。家族の思いやりと愛情のおかげで張さんは粘り強い人間に育ったが、もっと大きな変化は、張さんが初めて車椅子バスケットボールに触れた時に起きた。広州の学校に進んだ張さんは、手が長いからバスケットボールに向いていると言われ、車椅子バスケットボールの練習場に連れて行かれた。コートの中のさまざまな運動用車椅子が、あたかも張さんの人生のもう1つの扉を開いたかのようだった。それ以降、張健さんは車椅子を命の一部としてきた。しかし運動用車椅子はとても高価なため、張さんは自分で改造を始めた。例えば今回の冒険旅行で使用した三輪の車椅子は、マラソン用車椅子を参考にして張さんが自分で改造したものだ。車椅子を自由自在に操れることで、張さんは「ミスター車椅子」と呼ばれるようになった。張さんはファイブスタークラスのホテルで働いていたが、後に仕事を辞めチャリティー事業に身を投じた。 (梁瑩菲撮影)