取材対象者:于強/ 男性/66歳/中国作家協会会員、日本大同(株)顧問
出身地:江蘇省南通市
現住所:上海
行ったことのある都市:東京、大阪、ニューヨーク、サンフランシスコ、ワシントン、オタワ、ソウル、香港、北京、広州、南寧、杭州など。
素晴らしい都市とは: 発展をとげ、変化に富み、環境にやさしく、魅力に満ち、文化の蓄積があり、心の中に美しさが残るもの。
私の心の中のすばらしい都市は、かつて訪れたことのある多くの国内外の美しく輝くにぎやかな都市ではなく、今住んでいる高層ビルが林立する上海でもなく、かつて20年余り住まっていたことのある安徽省の馬鞍山市である。
私が自分の目で馬鞍山市が国家クリーン都市、国家衛生都市、国家庭園都市に築き上げられていく過程を見るとともに、それに参画し、2009年にはまた馬鞍山市が国家文明都市に評定されたことを耳にして喜んでいるからである。馬鞍山市は私の心の中に美しさを残しており、私も馬鞍山市とは忘れがたい深い感情で結ばれている。
馬鞍山市は長江下流の南岸に位置し、「9つの山が1つの湖を囲むようになっており、翠螺山から大河が流れ出ている」、鉄鋼と著名な詩人李白が老後を過ごした地でその名が知られている。1971年に私は大学卒業後馬鞍山市に配属された。私にとって最も印象が残っているのは製鉄所から噴き出される「黄色い竜」といわれていた黄色の煙塵が渦巻くように空に吹き出され、地面も煙塵が一杯で、市の中心部を貫く1、2本の主な幹線道路の両側にアオギリの並木がある以外、残りの道路の両側には何の木もなかった。都市の中央部にある雨山湖は見たところ美しいようであったが、実は水たまりに過ぎず、水は緑色で、異臭があり、いつも死んだ魚介類が水面に浮かんでいた。
前世紀70年代の末期、80年代の初期に、馬鞍山市の広範な市民は愚公山を移す精神で雨山湖の堆積した土砂を取り除き、その後また湖水を水たまりから流れる水、澄みきった水に変えた。私もその時のこの都市美化の行動に参加し、微々たるものではあったが自分なりの貢献をした。政府の提唱の下で、みんなはさらにあらゆる可能性を利用して緑化・植林を行い、都市の庭園建設を強化し、馬鞍山製鉄所から排出された廃ガスに対して汚染対策を施し、炭酸ガスの排出を減らした。
今では、馬鞍山市の空は青く、地面は緑で、水は澄み切っている。市の中心部にある雨山湖は青々と波打っており、シダレヤナギが生い茂っており、年じゅう数多くの水鳥が泳いだり飛び回ったりしている。湖東路大通りなどの多くの幹線道路の両側に香りを放つクスノキが空高くそびえ、木蔭をつくり出しており、四季に香りが漂っている。江東大通り、太白大通りなどここ数年に新たに建設された大通りは広く、平らかで整然としていて、青々とした芝生があり、木々の影が風とともに揺れ動き、色とりどりの花が満開している。市街区の大通りと路地はいずれもきれいで、整然としており、居住に適した理想的な都市となっている。
都市が美しいかどうかは、また文化の蓄積があるかどうかにかかっている。唐代(西暦618-907)の詩人の李白はかつて何回も採石、当塗に来て奥深く静かな所を探し、名勝の地を観光し、長江に舟を浮かべて月見をし、酒を飲みながら詩をつくり、最後に当塗で老後を終え、たくさんの遺跡と詩を残している。三国時代(西暦220-280)の東呉(西暦222-280)の大司馬であった右軍師(軍機をつかさどり、計略をめぐらす職)朱然の墓が1984年に馬鞍山で発見され、前世紀80年代の中国の考古学上の十大発見の1つとなり、その時に出土した文物と日本との深いつながりはかつて日本の人たちを驚かせた。同じ80年代に私が馬鞍山市観光局で勤務していた時、私たちはほかでもなく馬鞍山の厚味のある歴史の蓄積と文化資源を利用して、李白遊歴足跡観光をくり広げ、李白を記念するための中日両国の詩を吟じる会、国際詩吟祭、中日李白の詩と詞シンポジウムを催し、李白文学基金を創設した。馬鞍山市は日本の伊勢崎市、カナダのハミルトン市、韓国のチャンウォン市と姉妹都市の関係を結び、多くの分野で交流をくり広げた。今日、多くの外国人友人、特に文化人はしばしば私とかつて馬鞍山で交流を行った際のすばらしい情景を思い出し、多くの友人は私が彼らに同伴してもう一度馬鞍山市を訪れることを期待している。いつも外国の友人と馬鞍山で李白の跡を探し、採石の太白楼でともに李白の詩句を吟詠していたことを思い出すと、深い感銘を覚え、あれやこれやを思い浮かべ、それは私の生涯の最もすばらしいひと時であった。
馬鞍山市のすばらしさはいまでも私の心の中に残っている。1995年に馬鞍山市から上海へ転勤した後、私の体は上海にあるが、心は馬鞍山に深い関心を寄せている。2000年、130年余りの歴史がある日本大同株式会社が中国の内陸部で1都市を探してファッション工場をつくりたいと私に言ってきた。私は迷うことなく馬鞍山市を選んだ。それは私の心の中のすばらしい、信頼できる都市だからである。
2010年、馬鞍山市は皖江都市ベルト産業移転モデル区として国に認可され、上海から安徽省南部に通じる列車の馬鞍山を経由する鉄道が現在建設中であり、これらの国の計画は疑いなく馬鞍山市の建設と発展に対して重要な促進的役割を果たし、馬鞍山市にさらに錦上花を添え、人々の生活を更にすばらしいものに変えることであろう。
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