バンドは、上海市中心部の黄浦江河畔にあります。観光客が必ず訪れる上海の名所です。
19世紀後期、多くの外国資本や中国資本の銀行がここに設立され、バンドは上海の「金融街」、「東洋のウォールストリート」と呼ばれました。そのためバンドは縁起のよい土地とされ、ここに土地を持つことは富の象徴であるだけでなく、名誉の象徴でもありました。企業や金融機関はこの地で大規模な土木工事を行い、自社ビルを建設しました。バンドの建物の大半は3回以上の改築を経ています。各国の建築家がその腕を大いに発揮し、それほど広くはないバンドに、時代や国、スタイルの異なる建物が20棟余りも集中することになりました。こうしてバンドは「建築物の万国博覧会」と言われるようになったのです。
バンドに立ち並ぶクラシックなビルは、通称ワイタン1号からワイタン20号と呼ばれます。
ワイタン1号は現在、中国太平洋保険本社となっています。1913年に建てられ、元の名前をアジアビルディングと言い、イギリスのアジア石油社の上海事務所でした。当時は「バンド一の高層ビル」と言われ、下層部と上層部はバロック様式、中層部は現代風なスタイルになっています。上海の高層建築の中で最も古いものです。
ワイタン2号は、現在は東風飯店になっていますが、かつては上海で最も豪華なクラブ、「上海クラブ」でした。「東洋のロンドン」と呼ばれ、設計上はイギリス古典主義に倣い、また日本の帝国ホテルも参考にしています。三角形をしたエレベーターはシーメンスのもので、90年以上の歴史があります。
ワイタン3号は、現在の名前は有利大楼ですが、旧名はユニオン・アシュアランス・カンパニービルと呼ばれました。アメリカのユニオンバンクの所有でしたが、シンガポールの企業投資ファンド佳通集団がこのビルを買い取りました。
ワイタン5号は現在、華夏銀行が所有しています。ここはもともと日本の日清汽船上海支店が入っていた日清大楼。日本の近代西洋建築と古典建築様式が融合したもので、外壁には花崗岩が使われています。このビルは1921年に建てられました。
ワイタン10号から12号は現在、上海浦東発展銀行になっています。もともとは香港上海銀行の上海支店でした。1923年に建てられ、青銅製の正面ドアとその両側の銅製のライオンは、イギリスで鋳造されたもの。このライオンは完成後すぐ鋳型を壊したので、世界にまたとない貴重なものだと言われています。下層部の真ん中に突き出た八角形のエントランスホールから、広々としたロビーへと入ることができます。エントランスの上部にはモザイクが嵌め込まれた壁画が8枚あり、それぞれ上海、香港、ロンドン、パリ、ニューヨーク、東京、バンコク、ジャカルタの20世紀初頭の様子が描かれています。このビルの建設には800万両の白銀が費やされ、「スエズ運河からベーリング海峡に至る地域で最も贅を尽くした建物」と称えられました。
ワイタン17号は上海で最初の高層建築で、現在はAIA保険ビルになっています。もともとは「ノースチャイナ・ニューデイリー」のビルでした。「ノースチャイナ・ニューデイリー」は、イギリス人が1850年に創刊した英字新聞で、上海に設置された最大の新聞出版機構です。最初は4ページしかない週刊の新聞で、業界の状況、船や飛行機などの交通情報を掲載していました。しかし後にイギリス租界当局の告示や声明などを載せるようになったことから、租界当局の「代弁者」と呼ばれるようになりましたが、1951年に廃刊されました。室内の白大理石のフロア、黒大理石の壁、金色のモザイクがほどこされたドーム形の天井など、非常に風格のある造りです。
ワイタン18号は1923年に建てられ、87年の歴史を誇る市の保存建築物です。バンドのある中山東一路と南京東路の交わるところにあり、旧名はマッケラー銀行で、かつてスタンダード・チャータード銀行の中国本店がありました。1955年にスタンダード・チャータード銀行が移転して以来、多くの企業に使用されてきました。入口にある4本の古代ギリシャ風の大理石の柱は、200年前にイタリアの教会で使われていたものが移されました。天井から下がる二つの赤いガラス製シャンデリアは、高さが3メートルもあります。中が空洞になったガラス管で構成され、185ものパーツで出来上がっています。ロビーにある目にも鮮やかな24金製のモザイク壁画は、すべて手作業で製作されました。豪奢なこのビルは、世界の有名ブランド・ファッションや宝飾品、時計、グルメ、エンターテイメント、アートの中心となっています。
ワイタン19号と20号は和平飯店です。中山東一路と南京路とが交わるところに位置するこのホテルは、100年以上の歴史を持つ、上海で最も古いホテルです。優雅な西洋式建築は「極東第一のビル」と称えられました。
「北京週報日本語版」2010年5月25日
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