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一人の夢、「田子坊」の夢

 

古い工場エリアで生まれ、古い民家エリアで発展していった田子坊は、その拠り所とする上海特有の文化に恩義を感じているし、石庫門を技術や芸術を生み出す非物質的(無形)文化遺産として申請している。2010年上海万博のテーマ精神が具現化された場所として、田子坊も世界からのゲストを迎える準備をしている。石庫門民家エリアのレストラン建築はほとんどが老朽化した上に狭くて小さいため、安全問題が重要事項中の重要事項となった。盧湾区政府の要求に従って、1平方メートルごとの座席数は厳しく制限されている。このほか、万博にあわせて建設されている地下鉄9号線には田子坊駅も設けられる。210弄の向かい側には、近代的なショッピングセンターがそそり立っている。

田子坊を聞いたことのある人はよく北京の大山子と比べて論じたがる。しかし大山子と異なるのは、田子坊が最も「上海らしさ」のある住宅街の中にあることだ。ここにある店舗はどこも、かつては上海っ子たちが食事をし、眠った場所だ。エリア全体が改造されたとはいえ、古い物は古いまま修復するという原則に従って、昔ながらの環境が保存されている。今でも、昔からの住民の三分の一が田子坊で暮らしている。ここでは、過去と現代、昔ながらの暮らしとアート、民族と世界とが生き生きと融合している。足を一歩進めるごとに新たな創意工夫があり、お店ごとに独特の風景に出会える。田子坊全体が「都市のソフト・リノベーション」というクリエイティブな行動なのだ。

昔ながらの風情と人情味は田子坊が海外投資と観光客を惹きつける主な原因だ。現在までに、26の国と地域の企業機関が田子坊に入居している。呉梅森さんはここを文化の「小さな国連」に例える。縦横に交差する路地を行きかい、時には上海特有の文化のノスタルジーに浸り、時にはデンマークの童話の世界に入り込み、時には北海道のすがすがしさを味わい、時にはエーゲ海の風情を感じる――田子坊の外国人たちは、上海文化に惹きつけられてくると同時に、自国の文化をも持ち込んでいる。彼らは中国と外国との文化芸術交流の不思議な魅力を体感し始めている。これらの外国人のうち、最も早くから入居しているのは日本人で、その人数も最多だ。田子坊日本人協会の今渕悦子会長の紹介によると、何年か前に、日本人の母娘が旅行で田子坊を訪れてすっかりここが気に入り、その場である民家に入って行き賃貸できるかどうかを聞いてみた。両者は意気投合。大家はこの日本人母娘のよき友となり、借りた部屋は田子坊で最初の外国人が営む店舗となった。現在、田子坊で経営をする日本人は約25人で、20軒の店舗を設け、田子坊日本人協会も設立した。

田子坊クリエイティブ産業パークは地方自治体、有識者、芸術家、企業家の長期的な探究と実践の産物だ。呉梅森さんのよき友人で、上海中国画院の著名な画家である謝春彦さんは210弄にアトリエを構えるだけでなく、早い時期から呉梅森さんをサポートして旧工場エリアを開発してきた理解者の一人だ。謝さんの紹介によると、泰康路の旧工場と石庫門は上海っ子から「下只角」(おんぼろなところ)と呼ばれていた。しかし、このほとんどの人に見捨てられていた場所は、上海の冒険家たちにとっては楽園であった。呉梅森さんや陳逸飛さんらは比類なき優れた眼力で「下只角」の希望と潜在性を見抜いた。現在の田子坊は、税収、就業、旧家屋保護、都市の再生等の各方面で手本となり、さらにはその豊かな人文と昔ながらの雰囲気で独自の地位を築いている。

呉梅森さんは言う。「今、自分は旧工場エリアを最初に借りた人物でしかなく、エリアの開発についてはまったくのボランティアで、趣味でやっている。もしかしたら、この平常心があったからこそ、上海の古い弄堂で自分の夢を実現でき、田子坊の人々にも夢をもたらせたのかもしれない」。

「北京週報日本語版」2010年3月30日

 

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