揚州
江蘇省中部に位置し、長江を南に臨み、北は淮河に隣接し、京杭大運河がその間を貫いている。3月にはもやがかかり、柳がそよ風に揺れ、静けさをたたえた湖面と、曲がりくねった小路、美しい女性に、朱塗りの大門が風光明媚な揚州を彩る。漢代(前206年~220年)の墓、唐代(618~907年)の古い城がこの町の歴史の移り変わりを物語った。水こそが楊州の魂で、歴史も水に左右され、人も水によって才気をもち、都市は水によって生き生きとする。古運河は揚州に2500年間付き添い、上品で美しい都市の景観を作り出し、才子美女、そして輝かしい文化を生み出した。
揚州観光ネット http://www.yzlyw.gov.cn
痩西湖
揚州市西北部に位置し、湖面が細長いためにこのように呼ばれ、国家AAAAクラスの観光地となる。痩西湖の美は、曲がったその姿と素朴さ、そして時々に表情を変える水面にあり、まるで嫦娥(中国の古代神話に出てくる月の中の仙女)が舞を始める時に投げかける1本の色テープのようで、人の心を揺り動かす。伝説では月夜に24人の仙女が、二十四橋の上で簫をふき、歌って踊ったといい、人々の夢想をかきたてる。
交通 遊1、遊2号の専用線
問い合わせ電話 0086-514-87370050
文昌閣
俗称を文昌楼といい、揚州汶河路、三元路が交差するところにある。明の万暦13年(1585年)に、揚州府学の魁星楼として建てられ、そのため「文昌閣」と呼ばれた。文昌閣は三層で八角形をしたレンガ・木造建築で、一路下の四面にアーチ型の門がつくられ、二階・三階のそれぞれの面には見せかけの窓が作られている。塔に登ると市街を一望のもとに見下ろすことができる。祝日の夜には、塔は明るくライトアップされ、楊州の街の代表的な風景となる。
漢墓博物館
蜀岡古城遺跡の南の端に位置する陵墓博物館。前漢(前206年~後25年)第一代の広陵王劉胥の「黄腸題湊(古代の高い格式をもつ墓の造り方)墓で、大規模で綿密な構造をもつ、中国でも稀にみる漢代の墓のひとつ。今から2000年あまり前のもので、外棺はすべてクスノキを使っており、今までに発見された外棺のなかでも最も完全な貴重なものです。館内にはさらに「広陵王王妃の墓」や「漢代広陵」などの陳列物がある。
交通 公共バス5、25号
問い合わせ電話 0086-514-7610650
何園
またの名を「寄啸山荘」といい、揚州市の徐凝門街にあり「清朝末期の第一園」と讃えられる。何園は東西の建築様式を融合させたもので、東西ふたつの部分にわけることができ、二階建ての串楼とその前にある住宅部分が一体化している。庭は嶙峋の山石で築山をつくり、建築をその山のふもとの池のそばに配置し、高さの変化をつける。山水と建築が一体化した揚州の住宅庭園の典型である。庭に植えられた植物にも工夫がこらされ、半月台のそばの梅やモクセイやシロマツ、そして北の山麓のボタンやシャクヤク、南山の紅カエデ、庭の前にあるアオギリ、エンジュ、建物のわきに植えられたバショウなど、四季ごとに変化があるばかりか、朝晩の変化までもを追求し、さらに彫刻の美しさは息を呑むばかり。
問い合わせ電話 0086-514-87900345
ホームページ http://www.he-garden.net
交通
揚州は古来より重要な交通の中枢で、道路・鉄道・水路すべての交通が発達している。道路では、京滬(北京-上海)の高速道路、寧通(南京-南通)高速がここで交差し、高速道路で南京までは一時間あまり、上海までは2時間あまり、北京までは8時間あまりで達することができる。鉄道では、北京、広州、西安、上海、武漢の5本の幹線鉄道があり、全国に通じる。水路では、長江と京杭大運河の2本の「黄金水路」が揚州で交わり、川沿いにいは1万トン級の港が12カ所がある。
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