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【シリーズ改革開放40周年】人との出会いに彩られた中国との20年 大学日本語教師・佐藤芳之さん
本誌記者 金知暁  ·   2018-10-16
タグ: 改革開放;教育;中日交流
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大学で見た中国の20年 

佐藤さんが1998年に留学した北京語言学院(現在の北京語言大学)は外国人に中国語を教えることで有名な大学だ。様々な国から来た留学生がここに集まり、中国語をはじめ、中国の文化や社会を理解し、そこからまた進学や就職の道に進み、世界中で活躍している。当時29歳の佐藤さんは、「まず2年間中国語を勉強し、ものにならなければ日本に帰る」という計画で中国に留学したが、その後、見事に中国の大学院修士課程に合格。2004年には、博士課程に進んだ。そして2013年9月、日本語教師としてかつて留学生として学んだ北京語言大学に戻ってくることになった。 

佐藤さんは一人の留学生から教師になり、北京語言大学も変わった。「建物は昔のまま残っているものもあるが、中はきれいになり、キャンパスの雰囲気も明るくなった」と、佐藤さんはこれらの変化を嬉しく見つめている。留学生活を振り返って佐藤さんは次のように語った。「当時、中国の一般の人はコーヒーを飲む習慣がなかったが、留学生食堂にはコーヒーとパンがあり、ハムエッグなどの洋食もあった。そして学内には日本料理屋もあり、食べる物に困ることはなかった。留学生の寮もホテルみたいにしっかりしていて、なんでも整っていた。本当に恵まれた環境にいた」。佐藤さんは、当時北京語言学院が外国人留学生を受け入れるために提供したサービスを高く評価した。こうした環境は、他の大学も含め、以前の北京では極めて特殊だった。しかし、それから20年が経った現在、他の大学の留学生受け入れ環境も良くなり、大学内のインフラも整備された。コーヒーやパンなども一般の中国人の食生活に定着し、外国料理のレストランが町中に溢れている。 

20年間をずっと大学で過ごしてきた佐藤さんだが、中国人の生活の変化を身近に経験してきた。以前、日本に帰った時はいつも日本のだしや味噌などを買って、北京に持ってきたそうだが、20年が経った今、北京はすでに「買えないものがないほど物が豊富になった」という。電子決済も進んでおり、支払いはほぼ電子決済で済むほど便利になった。そのためお釣り用の小銭を用意していないところも増え、「100元札を出すと嫌がられるぐらい」と佐藤さんは笑う。そして、最初に中国に来た時は、中国は自転車の国というイメージを持っていたが、それも大きく変わったという。「自転車を修理するおじさんも道端にいっぱいいたが、今はシェア自転車が増えて、自転車を修理するところも少なくなった」と佐藤さんは言う。 

佐藤さんは更にいくつかの例を挙げた。例えば、中国はWTOに加入し、世界第2の経済大国になった。大学の近くには環状4号線ができ、2本しかなかった地下鉄が四方八方に通じ、オリンピックも成功裏に開催された。「本当に大きく変わり、本当に便利になった」と、佐藤さんは第二の故郷である中国・北京の変化を振り返る。「中国の変化を日本にいてメディアを通して知るのと、実際中国で生活をして、間近に自分の目で見て体験するのとは違う。中国の発展の過程をつぶさに見てきたことは、何にも代えられない財産になった」と心の底から感じている。

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