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良識と責任感を持った日本の政治家を追憶する―趙啓正氏の目に映った野中広務氏
黄友義 王衆一  ·   2018-01-30
タグ: 日本の政治家;野中広務;中日交流
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最近、中日両国の広い地域が大雪に見舞われている。週末だった1月26日、寒風と共に、ある悲しい知らせが日本から中国に伝わってきた。92歳の日中友好人士、元自民党幹事長の野中広務氏が同日午後、京都の某病院で亡くなった。中日関係に注目している多くの人々がこの知らせを聞いて、重い気持ちで週末を過ごした。元国務院新聞弁公室主任の趙啓正氏もその中の1人だった。彼は夜通し電話や微信(WeChat、中国版LINE)を通じて、われわれ2人を含む多数の対日外交や文化発信の専門家と連絡を取り、中日関係に対する考えを踏まえて、野中氏との交流にまつわる一つ一つのエピソードを思い起こした。趙氏の追憶に伴って、良識と責任感を持った日本の政治家の姿がわれわれの眼前に生き生きと浮かんできた。このような友人を失ったことは中日友好事業にとってまことに重大な損失である。 

90年代初め、趙啓正氏は上海副市長に任命された。彼は上海市の対外事務、海外貿易、浦東地区開発といった重任を背負い、後にまた国務院新聞弁公室と全国政治協商会議外事委員会の主任も歴任し、30年間にわたり、何度も日本を訪れ、日本の政界で活躍する野中氏とさまざまな場面で会い、交流を深め、年の離れた友人同士、異国の知己となった。中日関係発展の段階ごとに、野中氏が示した政治家としての良識と責任感が趙氏に深い印象を残した。  

71年、野中氏は当時中国に対する侵略戦争に参加した元日本軍兵士を率いて南京を訪問した。後に彼は趙氏に会ったとき、その南京訪問が自分に与えたショックを語った。野中氏は次のように話した。老いた元日本軍兵士は南京の城壁の上に座り、現在から過去を追想し、良心の呵責が心に湧き起こった。中には城壁に上がるとめまいを感じ、体の具合が悪くなった元日本軍兵士もいた。彼らは多分これは当時犯した罪の報いだろうと言った。元日本軍兵士たちは皆、当時、南京大虐殺が起こったという事実について後悔してやまなかったと野中氏は語った。   

98年、野中氏は再度、何人かの若手政治家と二十数人の記者を連れて南京を訪問した。南京大虐殺遭難同胞記念館で、彼は大勢のメディアに向けて、日本は侵略の歴史を深く反省、認識し、決着を付けなければならず、間違った歴史認識を21世紀に持ち込んではいけないと率直に語った。その言葉が新聞で報道されると、日本の右翼分子が銃弾の入った封筒を野中氏の家に送って恐喝したが、彼は全く揺るがなかった。  

99年、野中氏は趙啓正氏に会って、次のように語った。「去年の南京訪問は2回目でした。初めて南京を訪れたとき、元日本軍兵士を連れて南京の城壁の下で昔のことを振り返ったのは、過去について深く反省するためでした。現在、彼ら元兵士たちは亡くなりましたが、当時の様子は今でも鮮明に覚えています。去年の5月、私が日本の若手政治家を連れて訪中したのは、次世代に『歴史をかがみとする』ことを身をもって経験してもらい、歴史の教訓を忘れてはいけないことを理解してもらうためでした。これができなければ、真の友好関係は構築できません」  

趙氏は野中氏の歴史問題における正しい考えを高く評価し、2回の南京訪問の際の言葉に心を打たれた。彼は野中氏に次のように言った。「去年、南京で述べられた言葉をめぐって、『人民日報』は特別に『歴史をかがみとし、平和を祈る』と題する報道を行い、中国のインターネット上にもあなたの言葉が広まっています。日本でも中国でも同じように、年配者の言葉に若者は耳を傾けますね」  

趙氏は野中氏の歴史認識問題における正しい立場は一貫していると評価している。野中氏は回想録において、戦争中、軍国主義の教育を受けた自分は「軍国青年」だったと書いている。戦後、自らの戦争経験に基づいて、彼は日本で本を書いたり、インタビューを受けたりするときは終始一貫して戦争に反対し、平和を擁護し、日本の戦争責任を徹底的に清算しなければ、歴史的債務を解決できないと強く主張してきた。日本共産党の機関紙『赤旗』の取材を受けた際には、「政治の最大の役割は戦争をしないこと」と語った。  

2008年12月13日、東京都の市民団体が主催した南京大虐殺71周年記念集会において、83歳の野中氏はあらためて次のように語った。1971年に団を率いて南京を訪問したとき、メンバーの1人が皆の前でかつて南京で暴行に参加した事実を告白し、それで自分はそのとき非人間的な事態があったことを知ることができた。その上で、野中氏は日本の未来のために歴史を正視しなければならないと指摘した。

南京大虐殺遭難同胞記念館を訪問した野中広務氏 

趙啓正氏の記憶の中で、野中氏の政治家としての責任感は、両国関係を取り扱う際のはっきりとした政治判断にも表れている。2008年、西側諸国の一部がチベット問題を取り上げて騒いだため、北京五輪の聖火リレーが途中で妨害されることになった。野中氏は「チベット問題は中国の内政であり、われわれはこの問題を利用した オリンピック大会のボイコットと破壊に反対する」と明らかな意見を述べた。   野中氏は、中日の相互信頼と協力は時代の流れであり、両国の共通利益に合致すると見定め、多方面における日本と中国の協力を一貫して促進することを堅持し続けた。中国が高速鉄道の発展を目指したいと知ると、彼は何度も協力の意思を表し、日本の新幹線の成功経験を中国と共有し、日中協力を深く促進しようと考えた。   

京滬(北京―上海)高速鉄道を協力して建設するため、まず中国側の調査やテストとして、上海―昆山間の一部路線を建設しようと野中氏が呼び掛けたことを趙啓正氏ははっきりと覚えている。 野中氏は「貸付金のことはまず横に置いて、協力の話だけを始めましょう。まず一部を建設し、試行運行をします。この一部の建設費用はわれわれが無償提供し、歴史に対する補償としましょう」と提案し、まともな政治家の誠実さと良識を示してくれた。日本政府の指導者たちの靖国神社参拝によって、中日関係が冷め、この協力を進めることはできなかったが、中日の友好協力を促進しようという野中氏の願いはわれわれの心に銘記すべきだと、趙氏はいきさつを説明した後、このような政治家は今日の日本にはますます少なくなっているとため息をついた。

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