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中日の相互信頼の「ジェネレーションの崖」をいかに越えるか
  ·   2018-01-02
タグ: 中日;相互信頼;中日交流
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  今日の中日交流は、民間が政府の先を歩んでいる。中国からは大量の一般市民が日本を訪れている。彼らは観察者であると同時に交流者であり、風景を眺めるだけでなく、体験を渇望し、交流を求めている。交流は双方向のものであるはずだ。観光と中日理解の促進とをいかに結びつけるべきか。なかなか伸びない日本人観光客の中国訪問をいかに促進するかも、双方の共通の課題だろう。

二つの国家の対立の背後には、民族主義の要素もある。民族主義を消滅させることはできないが、その存在を認めることを前提として、そのネガティブな影響を超えることはできる。中国は1950年代、政治的な観点を問わず、多くの日本人を中国に招いた。このような交流の遺産は継承に値する。交流のルートを欠いていた時代、両国はいくつかの交流機構を設立した。その新たな位置付けを見出すため、これらの機構は今、摸索を続けている。多くの若者をこれに加わらせてこそ、青春の力をいつまでも保つことができる。

我々が身を置く国際社会の主体は依然として国民国家である。国民国家の枠組みの下では、知識体系は国家の知識となり、知識人は国家に属する知識人となる。国際政治学者は往々にしてまず民族主義者となる。今日の国際政治の研究において、我々は、「国家の利益」や「国民の利益」といかに向き合うべきか。

両国関係が険悪な時期にも、中国と日本の環境分野の研究者の交流は比較的スムーズであるということは知られている。それは双方が共通の目標を持っているからだ。私の知っている例では、日本のある木琴学習団体は、中国の木琴学習団体と年間を通じて交流を保っている。

我々はなんとしても、遠のきつつある理想を救い出さなければならない。我々の世代が老いても、次の世代がある。中日両国の政府は青少年の交流を非常に重視し、交流のために特別資金を割り当てている。このような「青少年交流」はしばしば、民間機構に委託されている。若者の交流をただの「プロジェクト」から恒久的な民間交流制度へといかに転じるべきか。このような交流を高校に任せ、一種の修学制度を作ることはできないか。

歴史を振り返ると、中国古代の「士」は、普遍的な「共同知」に基づいて問題を観察し、分析していた。東方の世界において、人々の知識の枠組みは共通している。国家の利益の衝突に関わる際には、人々は、普遍的な原則と人類の共同利益に基づいて目標を打ち出し、解决案を制定することができる。知識人は祖国を持つが、真理に基づく彼らの行動に国境はないからだ。

ここ数年、両国政府の関係は停滞し、民間交流も影響を受けた。もしも両国の民間人や知識人が国境を超え、数々の安定した交流のルートを構築し、さらにはさまざまな異なる専門分野の「市民共同体」や「知識共同体」を構築することができれば、このような国境を超えた「市民共同体」や「知識共同体」は、両国関係を安定させる碇(いかり)となると考えることはできないだろうか。中日両国は「戦略的相互不信」を超えなければならない。新たな歴史の時期において、中日両国は、あふれる熱意によって相互理解のプロセスを推進する新たなリーダーを必要とし、さまざまな「市民共同体」と「知識共同体」を構築することを必要としている。

ずいぶん昔の話になるが、当時早稲田大学の教授だった依田憙家氏が、「日中友好大学」の設立を提案し、多くの賛同を得た。私が周囲の日本人教授にこの構想を話しても、熱のこもった反応が得られる。来年は中日平和友好条約締結40周年にあたる。この条約が締結されてから、2世代近くの人々が成長してきた。我々は今後も、両国間に平和がいつまでも維持されるようにしなければならず、そのためには人才が不可欠となる。このため両国は、中国と日本のために、またアジアのために、「アジア平和大学」を作ることができるのではないだろうか。(文:劉迪、日本杏林大学大学院教授)(編集MA)

「人民網日本語版」2018年1月2日

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