ジェイズ・バーの中国人バーテン
──ジャズを聴くことと魯迅を読むことには何ら矛盾がないようですね。村上作品に話を戻すと、直接中国に言及した部分は多くはありませんが、仔細に想い起こしてみるといずれも極めて味わいがあります。彼自身が言っているように、「中国」は彼の人生における重要な「記号」のようです。研究者という立場からこの点を詳しく説明していただけますか。
では『風の歌を聴け』から話しましょう。これは村上の処女作で、30歳を目前に控えた「僕」が、20歳のころの夏休みに帰省したときに起こったことを描いています。第1章で唐突に「上海で死んだ」主人公の叔父のことが語られます。前後の文章から見る限り、この叔父は徴兵されて中国侵略戦争に参加した日本兵と思われます。彼とその部隊は上海郊外に駐屯していますが、終戦の2日後、自分で埋めた地雷を踏んでしまう。小説の終わり近くで「僕」はもう1度叔父の死に言及します。それはジェイズ・バーのバーテンとの会話の中で語られます。
──中国人の「ジェイ」は『風の歌を聴け』の男性の中でベストな役回りですね。
確かに面白い人物です。ジェイは、あと何年かしたら一度中国に帰りたい、港に行って船を見るたびにそう思うのだと言います。そこで「僕」は中国で死んだ叔父の話をするのです。ジェイの答えは「いろんな人間が死んだものね。でもみんな兄弟さ」というものです。
──ジェイはきっと「僕」の叔父さんが中国侵略戦争の中で死んだことがわかったのでしょうね。
そう思います。このジェイは控えめですが物語性のある人物です。『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』を合わせ読むと、ジェイの人生を容易に浮かび上がらせることができます。彼は1928年生まれのはずで、第二次世界大戦後、日本の米軍基地で仕事し、米兵からJayという英語名で呼ばれるうちに、中国語の本名は忘れ去られていきます。ジェイは1954年に米軍基地での仕事を辞め、基地の近くに小さなバーを開く。客のほとんどはアメリカ空軍の高級将校です。1963年、ベトナム戦争がエスカレートしているとき、ジェイはその店を売却し、基地から遠く離れたところに2代目となるジェイズ・バーを出します。
──こうして見ると、中日戦争と朝鮮戦争、ベトナム戦争にジェイは立ち会っているわけですね。
しかも、特殊な身分ですから、彼の心中の葛藤やプレッシャーは想像に難くないですね。そして、彼が開いたジェイズ・バーには、日、米、中が入り乱れて戦った記憶が保存されていると言えます。
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