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【シリーズ改革開放40周年】手探りで踏み出した対外開放への道
  ·   2018-05-30
タグ: 改革開放;経済貿易;経済
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対外開放し、対外経済貿易を発展させることは、中国の社会主義現代化建設にとって非常に重要な役割を果たした。長年対外貿易分野で働いてきた劉向東さんは、特にこのことを身にしみて感じている。長年にわたって対外貿易分野で働く間に、劉さんは中国の改革開放以来の技術や外資の導入、対外貿易体制改革など対外経済貿易活動の様々な変化を目の当たりにしてきた。そして劉さん自身も、対外経済貿易分野関連改革開放政策の主な関与者であり、策定者の一人である。 

劉向東さんは1938年山西省黎城生まれの元商務部副部級幹部だ。1978年、蘭州化学工業公司に勤務していた劉さんは北京に転勤になり、国家機構建設委員会に短期間籍を置いた後、新たに設置された国家輸出入管理委員会に配属された。 

劉さんはこう話す。「あの時は改革開放の必要性に応じるために、輸出入管理委員会、別名外国投資管理委員会を設置しました。当時の輸出入管理委員会は200人体制で、主に対外貿易体制改革を行っていました」。 

改革開放の政策はできた。そのための機構も設置された。しかし、まずどこから始めたらいいのか?重要な歴史のターニングポイントで、中国の人々は切実に世界の発展と変化を知りたいと考えた。1978年、中華人民共和国は初めて大規模に西側先進国への視察団を派遣した。その年の秋、鄧小平氏も国務院副総理の肩書きで日本を訪問した。 

1978年10月22日、鄧小平氏は日本を訪問した。写真は空港で熱烈な歓迎を受ける鄧小平氏。

東京から京都へと向かう際、鄧氏は時速210キロの新幹線「ひかり81号」に乗車した。鄧氏はこう感想をもらしている。「とにかく速い。誰かにムチで追い立てられているような速さだ」。 

外に出て自分たちと先進国との差をはっきりと理解した後は、外国人専門家を招いて経験を伝授してもらった。外国人たちから受けた思想的な衝撃を劉さんは今も覚えている。「まず初めに日本の外務大臣を招きました。大来佐武郎氏です。彼は当時外務大臣でした。大来氏は彼らの当時の経済開拓の経験を話してくれ、『中国は土地が広く物産が豊富だが、1人当たりが所有する社会資産は多くない』と言いました。この言葉が、我々の自力更生と経済発展の潜在能力を呼び覚ましたのです」。

劉さんは、中国の最初のやり方は、技術であれ、設備であれ、資金であれ、管理経験であれ、「拿来主義」(他から持ってくるやり方)だった、と話す。1978年は国外からの技術導入がすさまじい勢いで進んだ一年だった。中国は一気に十数カ国・地域と1230件余りのプロジェクト契約を結び、契約額は78億ドルに上り、契約件数と金額は建国以来の合計よりも多かった。「1978年からドイツ、イタリア、イギリスなど西側諸国から先進技術を大量に導入し始めた」。 

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