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父と子が守る福州脱胎漆器作りの技
本誌記者 馬力  ·   2017-06-02  ·  ソース:
タグ: 福州;脱胎漆器;文化
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福州市閩侯県古山洲村を訪ねると、多くの農家の家の中に漆器が置かれていた。ここでは、漆器を作るだけでなく、漆器を使うことも日常生活の一部になっている。100年来、古山洲村では、何代にもわたって漆器作りの技を受け継ぐ職人たちが活躍してきた。彼らは家族を単位とし、父から子へ、おじからおいへと代々技を伝えてきた。彼らは福州漆器作りの技を守り、同時に名人級の民間漆器職人を生み出してきた。李長敏さんもそのうちの1人だ。

李さん親子の家は閩江北岸にある。父親である李長敏さんは高級漆芸師で、国家級無形文化遺産である福州脱胎漆器(芯材のない漆器、漆が乾いた後で芯材を外すのでこの名がある)の第2代伝承者、息子の李鏘さんは第3代伝承者だ。李長敏さんが漆器の製作と技術チェックを行い、李鏘さんは工場の日常管理と販売を受け持つ。

脱胎漆器は最も福州の特色を持つ漆器だ。北京の景泰藍(七宝焼き)、江西の景徳鎮陶器と並んで中国伝統工芸の「三宝」と称される。1000年余りの歴史を有するこの漆器は、かつて古代「海のシルクロード」を通じて海外へと売られていった。今、21世紀海のシルクロードの発展と興隆にともなって、脱胎漆器も新たな発展のチャンスを迎えている。

李長敏さんは脱胎漆器作りの第2代伝承者だ。手に職をつけ、後の生活の糧にするために、15歳からおじの李貞榕さんの古山洲共同経営漆器工場で「漆作り」から脱胎漆器の技術を学び始めた。その当時、おじの李貞榕さんはすでに多くの人から敬慕される閩侯の民間漆器作り名人だった。

1980年代末になると、市場経済の打撃を受け、国営福州第一、第二脱胎漆器工場が次々と倒産した。脱胎漆器製作に従事する職人たちは一時帰休を余儀なくされ、成長し始めたばかりの職人たちは散り散りになった。最後には大型の工場が家族規模の作業場になり、多くの職人たちが生活に困って次々に漆器作りをやめていった。

この時、腕一本で一家を養っていた李長敏さんは初めて生活の苦しさを味わった。「もしみんなが祖先の残したこの技をやめてしまったら、脱胎漆器の製作技術が失われるという具合の悪い状況になってしまう。あれほど多かった腕利きの職人たちがどんどん職替えしてしまったら、この業界にとって計り知れない損失になる」。李長敏さんはそう考えた。「福州の脱胎漆器の技をなくしてはならない」。当時、李長敏さんの頭の中にはこの言葉がずっと鳴り響いていたと言う。

それから彼は家族の反対を押し切り、働き口がなくぶらぶらしていた腕利きの職人たちを全員集め、すぐに閩侯県閩新工芸工場を立ち上げた。その後は、経営理念の変更と製品に対する絶え間ない革新を行ったため、日本や韓国などから高級漆器製品の注文が絶えないようになった。

工場の収益がますます良くなっていた1995年、李長敏さんは意外な決断をした。日本に漆作りを学びに行ったのである。「日本に配合が無毒無臭の生漆原料を学びに行ったのは、日本の漆器に当時とても心を打たれていたからです。日本の漆器は多くの家庭で使われ、何代にもわたって受け継がれる芸術品となっている上に、非常に儀式感のある生活用品でもある。それなのに私たちの漆器はほとんどが装飾的効果にとどまっていました。私たちの漆は精製と使用の面で日本とかなり開きがあったのです」。

日本で1年間学び、交流した後、李長敏さんは生漆製品の精製配合を新たに改良し、伝統的な生漆顔料の多くの弊害を排除し、43種類の生漆顔料を開発。改良後の生漆を使うことで、本当に無毒無臭の環境にやさしい漆器の製作に成功した。日本で学び、交流したことで、日本の同業者も李長敏さんの漆器作りの技法を知り、評価するようになり、今では毎月日本からの注文も受けている。日本のNTT社へは17年連続で毎月特注品を出荷している。

 30年余りにわたって、李長敏さんは福州脱胎漆器作りの場をしっかりと守り、ここから巣立っていった弟子は計100人余りに上る。2012年、李長敏さんの息子の李鏘さんは大学卒業後に家業を継がず、銀行に就職した。しかし2年働いた後、李鏘さんは銀行を辞めて故郷に帰り、父親から漆器作りを学び始めた。「当時、銀行に勤められることは、多くの人に羨ましがられることでした。でも父が1人で工場の仕事を山ほど抱えているのを見て、切ない気持ちになったんです。息子として、少し負担して父を助ける時だ、と思いました」。こうして李鏘さんは脱胎漆器作りの第3代伝承者となった。

 大学の専攻が電子商取引と関係があったので、2014年に父親のもとに帰った後、李鏘さんはまず父親の漆器のネットショップを立ち上げた。製品は各地に売られるようになり、収入も大幅に増えた。ネット通販顧客からフィードバックを集めた後、李鏘さんは自社製の漆器が伝統製作継承の面では比べる者がないものの、現代人の好みに合わせるという点ではやや足りないと感じ、父親と協力して漆器の形と模様のデザイン面で大胆な試みと改良を行った。抽象的で現代的な製作技巧を漆器製作に取り入れ、品質は変えないままで、現代人の好みに合う漆器を作り上げた。それは李さん親子に脱胎漆器の未来を感じさせることにもなったのである。

 「北京週報日本語版」2017年6月2日

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