▽「かわいい」「好き」に取って代わる
「萌え」流行の原因は、「萌え」が、「かわいい」や「好き」という感覚取って代わることに成功したことにある。伝統的な言語秩序を壊し、使用者にある種の能動性、ある種の快感を与えるこの表現は大流行した。「かわいい」や「好き」を判断する場合、公的に認められる客観的な法則が往々にして求められる。だがまったくの私的な表現である「萌え」においては、客観的な道理に適合する必要はなく、踏み固められた道だけを歩く必要はない。つまり人々はそれぞれ異なるものによって「萌え」ていいのであり、ほかの人がまったく興味を示さないものにためらいもなく「萌え」ていいのである。
「萌え」はただの流行語の一つではない。文化的・政治的な意味がそこには含まれている。この言葉が10年経ってもまだ流行しているのは、そこに原因がある。
▽「萌え」が誘う「無性」の世界
当然、「萌え文化」にはもう一つの際立った特徴がある。「無性」ということである。「萌え」る対象を性別のないものとして受け入れることが許されるなら、流行文化において常に規定され押さえつけられてきた両性のあり方を解放する役割を演じ得るものとなる。この解放は、創作者の解放というよりは、観衆の解放である。こうした対象を楽しみ受け入れる観客は、性別の二元構造の枠組を飛び出し、心理的な負担が解き放たれる快感を味わう。
▽対象「ペット化」による矛盾からの逃避
「萌え文化」は、流行文化にとって意義のある新ジャンルと考えることはできる。硬直した文化体系に一種の新鮮な選択肢を与え、消費者にもより強くより多元的な力を与えるものではある。しかしある意味では、「萌え文化」は、対象の「ペット化」によって現実の矛盾を逃れ、芸術創作における批判性という価値に背を向けるものとも言える。
文化は進歩するものであり、人もまた成長するものである。「萌え」を一般的な文化ジャンルと捉えるより、「萌え」に対する衝動を原初的な情緒への回帰とみなした方が、より意義のある見方をすることができるだろう。(編集MA)
「人民網日本語版」2015年9月21日
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