▽日本の習わし
日本の華人がなぜこのように爆竹を鳴らすかを考えるには、日本の習わしについて考える必要がある。習わしとは、暗黙のルールのことである。はっきりとは言わないが、はっきりしていないわけではない。誰もが知っているためにはっきり言ってしまうと、くどい感じが免れない。コンピューターの「デフォルト」のようなものである。
日本の習わしは、他の人に迷惑をかけないということである。どんなに人と違っていても、他の人に迷惑をかけないのなら何をしてもいい。また他の人がどんなに常軌を逸していても、自分や公共環境に損害を与えない限り、介入する権利はない。
爆竹には3種類の外部へのマイナス面がある。第一に、騒音。第二に、空気に広がるチリ。第三に、地面に残るゴミ。騒音はひどいが一瞬のもので、鳴らし終われば過去のことになる。面倒なのはチリとゴミであり、すぐにはなくならない。「他の人に迷惑をかけない」という原則からいくならば、爆竹を鳴らした人は、ゴミと空気中のチリの後始末をする必要がある。後で処理するよりは、事前に対策を打っておいた方がいい。聡明な華人たちはそこで、ドラム缶を考えついたのである。
中国では、爆竹の風習を続けるべきかが議論となっている。中国の伝統なのだから残すべきだという人は、爆竹なしでは新年の感じが出ないともいう。伝統は何も初めからあったものではない。伝統のすべてが変化し得ないものでもない。火薬がなかった頃には爆竹はなかったが、中国人はもう存在していたのである。良くない伝統なら改めるべきだろう。
改める方法もさほど複雑ではない。汚した人が片付ければいいのである。爆竹を鳴らしたければ好きなだけ鳴らしていいが、終わった後は、自分でゴミを片付け、現状を回復しなければならない。後はめちゃくちゃというのはいただけない。
市場を活用した方法もある。事後の清掃コストを爆竹価格に入れてしまうのである。消費者は、指定の時間と場所でこれを鳴らす。「戦場」を処理し、ゴミを片付ける仕事は、爆竹販売業者が行う。爆竹を買った人はすでに「環境損害費」を払っているからなのだ。(編集MA)
「人民網日本語版」2015年3月11日
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