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日中を水墨画でつなぐ父娘

斎藤文男(元南京大学日本語学部専家)

 

南京市滞在も5年目になった2006年の夏。市中心街地区にある南京師範大学付近の街並みを散策しているとき、「傅抱石記念館」(漢口西路132号)という看板が目に入った。記念館は道路から小高い丘のようなところにある。瀟洒(しょうしゃ)な二階建てだが、こんもりとした木立の中にあり、周囲の街並みにすっきりと溶け込んでいる。傅抱石(ふ・ほうせき=1904年~1965年)が晩年過ごした旧居で、1990年10月にオープンした。

道路沿いの門柱に「傅抱石記念館」の看板があった

傅抱石は中国近代画壇の巨匠として知られている。1934年、日本の帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に留学、当時教務主任の東洋美術学者・金原省吾らに師事した。帰国後は「朦朧体」を取り入れた画風を完成させ、山や岩を描くとき筆をくねらせたり、筆先を散らしてから描く独特の使い方「皴法(しゅんぽう)」で“傅派”と呼ばれた一派を生んでいる。江蘇省国画院院長、中国美術家協会副主席などを歴任した。

小高い木立の中に瀟洒な佇まいの傅抱石の旧居

記念館内には傅抱石の使った筆や著書、画集などのほか各時代の写真などが展示されている。家族6人でくつろいでいる大きな写真もあり、庭には大理石でできた傅抱石の胸像が静かに旧居を見守っている。

私は傅抱石自身よりも、三女・傅益瑶(ふ・えきよう)さんの記憶が強かった。傅益瑶さんは1980年、日本に留学して塩出英雄、平山郁夫両氏に師事し、中国伝統の水墨画と日本画の技法を取り入れた独特の画法を確立した。現在、日本各地の祭りをライフワークに、日本全国や海外でも展覧会を開き活躍している。私は傅益瑶さんが1995年にNHKテレビの趣味百科「水墨画への招待」という番組で講師をしている時初めて知った。流暢な日本語で水墨画の描き方を分かりやすく説明しながら、実際に描いているのを感心しながら見ていた。

記念館内にあった傅抱石一家の団欒写真

父・抱石の作品について「雨を描くとき、体全体を使って描いたのではないか。小雨のときと土砂降りとでは体の動かし方が違います。体の動きで、雨の特徴を表現したのだと思います。」と、当時のテレビ講座のテキストに書いている。

水墨画については「心の中に残ったものを見える世界に置き換えること」だという。「心の中で通過したものを具体化する作業」が水墨画を描くことだと記している。ライフワークにしている「祭り」を描くときも、「よく祭りを観察して、生命力が一番あふれるところを見逃さないで、イメージを膨らませて描くことが大切だ」と訴えている。

旧居庭の中で遠くを見つめる眼差しの傅抱石胸像

傅抱石の水墨画を見ていると、私はそこに行ったことはなくとも絵の中に入ったように感じられる。傅益瑶さんの日本の祭りの絵も、じっとみていると日本人のアイデンティティーを確認させられ、祭りの雰囲気が体全体で感じられるようになる。日中を水墨画でつないでいる父娘の絵に感動している。南京市内の観光で時間ができたとき、ちょっとのぞいてみることをお勧めしたい。

(写真はすべて筆者写す)

 『中国123』日本語版2014年12月16日