より高く、より速く、よ強りく
オリンピックでは、選手たちは金メダルや順位のために頑張ったばかりでなく、同様に自らの行動で「より高く、より速く、より強く」というオリンピック精神を体現した。サマランチIOC会長は、選手は成績いかんを問わず、競技場でオリンピック精神を発揚できれば、彼こそ最強の者であると語ったことがある。
オリンピック開幕当日、中国射撃チームのベテラン、三十六歳の王義夫選手は男子十メートルエアピストルの競技場に力なく歩いてきた。王選手は一九八四年から今回までオリンピックに四回も出場し、オリンピックと世界選手権ではたびたび優勝し、男子エアピストルとピストル·スローファイヤー種目では絶対的な実力を持っていた。そのため、競技前はこの二種目の金メダルの有力な争奪者と広く見られていた。しかし、オリンピック開幕直前に、長年悩まされてきた低血糖症と耳の病気が急に悪化し、そのため車椅子でアトランタ行きの飛行機に乗り込まざるを得なかった。それよりもまずかったのは、競技の前の日に、好転しかけていた病状がまたも悪化したことだ。彼は酸素ボンベをもって競技場へ行かざるを得なかった。
表彰台に登った2位入賞の中国女子サッカーチームの選手たち カララ·宋暁剛
競技が始まった。王選手は競技の時は具合が悪く、一発撃つたびに坐って一休みし、時々酸素を吸入しなければならなかった。それにもかかわらず、予選では彼はオリンピック記録破りの成績で第一位となり、決勝に進んだ。第一発から第九発までの成績は第二位を三·八点引き放していた。その時、誰もが金メダルはもう中国のものと信じていた。競技は最後の一発になった。王選手はゆっくり立ち上がり、ピストルを挙げた。突然、彼はは目まいを覚えた。号令がかけられ、他の選手はみな撃ち終わったが、彼だけはピストルを挙げたままであった。規定の七十五秒という射撃時間が過ぎ去ろうとしていた。彼は病気をこらえ、勘だけにたよって引金をひいた。六·五点しかなかった。彼はわずか〇·一点の差で金メダルを逃がしてしまった。その時、彼は疲れきり、そばにいた妻の懐に倒れ込んだ。
競技が終わったあと、何振梁IOC執行委員は感きわまった表情で「彼がいちばんすばらしい。これは疑問をさしはさむ余地のないことだ」と語った。王選手のコーチ張恒さんも涙をたたえて、「チームにこのような選手がいるのは、われわれの誇りである。この銀メダルは金メダルに勝るものだ」と語った。