劉徳有
新中国最初の、しかも唯一の英語版ニュース週刊誌「北京週報」は、今年3月、50歳の誕生日を迎えた。外国の読者向けに週刊誌を半世紀にもわたり出版し続けるというのは、容易なことではない。国際出版界での「奇跡」と言ってもいいのではなかろうか。英語版「北京周報」が出版されて5年後に、日本語版が読者と対面することになった。今年、創刊45周年である。英語版が北京で創刊された時、私は「人民中国」編集部で仕事をしていた。同じ分野で働く者として、私は「北京周報」の成長に関心を寄せ、見守ってきた。
新中国が出版した英語刊行物では、これ以前に、隔月発行の「人民中国」と月刊「中国建設」、それに「中国画報」などがある。英語版「北京周報」が世に出ることになり、英語版「人民中国」はその使命を終え、歴史の舞台から下りていく。
ほかでもない、政務多忙を極める周恩来総理が内外の急変する情勢に目を向け、時機を判断して、自ら提唱・指導し、関心を寄せたことで、この斬新な刊行物は世に出ることになった。そればかりではない、周総理はさらに自ら誌名を「北京周報」にすることを決めた。
心細やかな読者ならきっと気づかれたと思うが、英語版創刊時の誌名は「Peking Weekly」ではなく、、用いられたのは「Peking Review」(後に「Beijing Review」に改名)であって、直訳すれば「北京評論」であった。これは恐らく西側読者の習慣を考慮したものであり、さらに重要なのは、この刊行物の性格と特徴を際立たせるためだったからではないか、と思っている。新しく誕生した英語版「北京周報」は、その時代の政治性の比較的強い評論誌であるため、発行を海運方式から航空便方式に改めたのも、最も時間性を備えた、最も権威ある中国のニュース、とくに国家指導者の発言や政府の重要な文書、国際問題に関する中国の重要な論評、重要な新聞・雑誌の社説などを国外の読者に提供するためであった。二十世紀の50-60年代に国際共産主義が大論戦を展開した際には、この刊行物は中国の立場と観点を全面的に反映するものとなった。
さて、その誌名だが、、日本語版は「北京評論」ではなく、直接「北京周報」を採用した。新中国の首都である北京が出版する日本語の週刊誌である、ということを強調したかったからではないだろうか。それについては、こんなエピソードがある。日本語版「北京周報」の表紙のタイトルは、中国文学界の巨匠、著名な書道家であり、日本の読者にもよく知られた郭沫若氏が揮毫したものである。毛筆で書かれた「北京周報」という4つの文字は力強く踊り、潇洒でいて飄逸である。ところで、「周」という字は、当時すでに文字の簡略化が進められていた中国では、「周」と「週」は一律に、「周」と書くようになっており、俗字としての「週」は使われなくなっていたが、日本では、「周刊」「周報」を表す場合には今でも、「週刊」「週報」と書いている。聞いたところによると、郭沫若氏に題字をお願いに行ったとき、「周」ではなく、日本で通用している漢字「週」を書くよう念を押さなかったことから、「北京周報」となったのだという。「周」「週」の2文字には相通ずるものがあるものの、中日両国ではその文字を使用する習慣はすでに同一ではない。当時、一部日本の読者は、「周報」という書き方は日本の習慣に合わないとして、改めるよう求めきた。しかし、ようやくにして得られた文字である。いくらなんでも郭沫若氏にもう一度、書き直してくれるよう頼むわけにはいかなかった。時がたち、読者も慣れていった。若干の年月が過ぎ、のちに表紙のデザインを改めたとき、はじめて日本で通用する書き方に照らして活字体の「北京週報」に改めたというのが真相である。
1958年、「北京周報」が創刊された当初、中国はまだ米国に封じこめられるという状態に置かれており、国外の読者が中国の状況を理解する方途は限られていた。当時、中国を取材訪問あるいは常駐する記者は極めて希であり、旅行する人も多くはなかった。中国の対外向け刊行物はそれ以上に微々たるもので、しかも大半が月刊あるいは隔月刊であり、時間性にすこぶる欠如していた。情報の伝達が最も速かったと言えば、中国国際放送局の海外向け放送であろうか。しかし、聴取者の数も知れたものであった。こうした状況の中で「北京周報」は誕生し、時代の要請に応えることで、中国を理解したいと渇望していた外国人には無上の福音となった。半世紀このかた、「北京周報」は一面の鏡のごとく、日進月歩する中国の現実を事実どおりに反映し、瞬時に千変万化する世界の動向を記録してきた。それは中国と世界のその時代の歴史の研究にとって貴重な資料となった。国外の読者、とくに中国問題を研究する専門家や学者の要望を満たすことができ、「北京周報」は歓迎された。日本では、多くの地方に相次いで「北京周報」を読む会が誕生した。日中友好協会は長年にわたりその「運動方針」の中で、会員に対し「北京周報」など北京で出版されている三誌(「北京周報」「人民中国」「人民画報」)を購読するよう呼びかけてきた。一部の国の政府では大統領や首相秘書室も「北京周報」の長期購読契約者となっている。日本の衆議院副議長を務めた故岡田春夫氏は生前、孫平化氏にこう語った。「国際情勢が激動し、マスメディアを通じていろいろな報道が流されているとき、判断の根拠として、中国の見方を知りたくなると、主として『北京周報』日本語版を頼りにしています」
今日、人類社会は経済のグローバル化、イノベーションとマルチメディア構造が異常とも言えるほど発達した時代に突入しており、外国人が中国の情報を得られるメディアは急速に増えてきた。情勢の発展に適応しようと、「北京周報」英語版は活字のほかに、01年に電子版を開設した。日本語版やその他の外国版も電子版化された。言うまでもなく、時間性は大きく向上していった。
今まさに情報炸裂の時代、メディア間の競争も異常なまでに熾烈である。中国で起きる一切が、そして複雑多変化する国際情勢と国際問題に対する中国の姿勢と立場は、これまでになく重要性を増し、人びとの関心を呼んでいる。間違いなく、「北京周報」は今後も引き続き自社の風格と特色を保持し、幅広い国外の読者に正確で権威ある、公正かつ客観的で、時宜にかなった奥の深いニュースを提供していくであろう。正確さと権威、公正、客観性、そこに「北京周報」の生命が存在しているからである。
このところ、西側のマスコミの一部に「チベット問題」をめぐり、全体像をとらえるのではなく、偏ったり、履き違えをしたり、ひいては捏造、事実歪曲、白黒転倒、「ザマを見ろ」、「ことあれかし」といった態度をとる報道が見られる。こうした状況にあって、「北京周報」はその存在意義を一段と増している。「北京周報」がこれまでのように、正義を持ち続け、事実を示し、道理を尽くし、疑念を解くことで、西側一部メディアの謬論に反対し、彼らの「中国を妖怪化する」といった策動を打ち破り、より多くの人に事実と真相を理解してもらうために、今後もずっと「中国の窓、世界の友」としての役割を発揮していってもらいたいと願っている。
(筆者は元中国文化部副部長)
「北京週報日本語版」 2008年5月12日 |