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周恩来元総理と『北京週報』  
周恩来と「北京週報」

 

戴延年

今年3月5日はわれわれが敬愛する周恩来総理生誕110周年であり、ちょうどこの日は「北京週報」創刊50周年でもあった。この日が近づくにつれ、われわれ「北京週報」の同志たちの周総理を偲び、敬愛する気持ちは強まっていった。われわれのこの開国の総理、任期が最長の総理が生前、政務に追われ、日夜仕事に没頭していたことは、だれもが知るところだ。党や国の大事を処理するため多忙を極めるなか、われわれのこのような具体的な対外宣伝刊行物、「北京週報」に対してもきめ細かな関心を寄せてくださった。「北京週報」はまさに総理の心のこもった関心のもとで誕生し、また総理の心のこもった関心のもとで成長したのである。

私が「北京週報」に来たのは1969年。しかしそれ以前、52年に「北京週報」の前身である「人民中国」で仕事を始めた。その後の週報の創設については時折、耳にしていた。とくに総理が63年6月13日の「人民中国」日本語版創刊10周年、インドネシア語版創刊5周年に出席された際、私は目と鼻の先で、総理の風貌を自ら目にし、総理の教えを自ら耳にし、心が高鳴り、魂が揺さぶられる思いを経験した。週報に行った後、“元老”たちは周総理の思いやりは人を共鳴させる、与える印象はとくに深い、と語っていたほどである。

これについては、54年から語らねばならない。この年、周総理は代表団を率いてスイス・ジュネーブでの国際会議に参加。新中国にとって初めての国際舞台であり、中国代表団は重要な役割を発揮した。それ以降、中国が参加する国際活動はますます増え、国際的な影響ますますも大きくなっていく。この会議で、代表団の同志たちは、現有の対外宣伝刊行物(当時の主要刊行物「人民中国」は半月に1回発行、時間性はない)では国際闘争情勢の発展の勢いに適応できないため、国際問題に対する立場や観点、諸政党と政府の重要な声明、指導者の重要な談話、「人民日報」の重要な社説の精神を世界に即時に伝える必要があると認識し始め、これを機に英語雑誌創刊の考えが芽生えていった。代表団に随行してジュネーブに赴き、のちに「北京週報」初代総編集長となった楊承芳同志は「会議が終了して代表団が帰国の途上、周総理は中国と世界各国人民との間の相互交流と相互理解を強化するという考えを何度も語り、方策を講じて国外各界の人士に新中国をよりよく理解してもらう緊急性についても言及された」と回顧している。当時、西側の新聞による中国の報道は少なくなかったが、大半が正確ではない、という状況を考え、周総理は「われわれは自らの英語の刊行物を持ち、速やかに外国にわれわれの革命と建設の成果を紹介し、内外政策を説明しなければならない」と話された。北京に戻ると、周総理と陳毅副首相は対外宣伝に携わる同志に「わが国は対外宣伝で勢いをかけ、拡大させていかねばならない」と強調されたことがある。

中国外文出版発行事業局の呉文燾同志は53年に同局前身の外文出版社副社長に就任。54年のジュネーブ会議の際に、「人民中国」のジュネーブ駐在首席記者となった。彼も当時、英語の刊行物は中国の観点を即時に伝達するのに役立つと感じ、外文出版社に戻るとすぐに積極的に創刊の準備に当たった。慌しい準備を経て57年後半、英語版週報の創刊計画に関する文書を外交部に送付。当時、外交部の第一副部長だった張聞天同志は関係者を集めて協議し、大多数が積極的に支持、賛同した。だが、当時の条件下で英語版を出すことがどれほど難しいことか。ある同志は多少躊躇した。最後に張同志が「この刊行物の創刊は、世界に語りかけるものであり、大きな出来事であるため、もう一度総理の指示を仰ぐことにしよう」と述べた。そこで彼は、57年11月18日に報告書をしたためた。翌58年1月20日、陳毅副首相が「同意する、総理に審査をお願いする」と回答。数日後、総理は西花庁にある執務室で会議を招集し、笑顔を見せながら、この刊行物の出版に同意するとともに、出席した外交部の指導者に対し大々的に支援するよう述べられた。

ここで強調しておきたいのは、西花庁でのこの会議は総理の「北京週報」の出版に対する最終決定であり、最初の決定は前年であったということだ。総理の2月29日の張聞天同志の報告書のなかにある指示を見ていただきたい。「『北京週報』(英語)は3月1日に出版すると定め、彼らは前年の決定どおり行うものとする」。この指示は、同志たちが回想する総理がジュネーブ会議後に立案した英語版週報が確かな事実となったことを証明している。こうしたことから、「北京週報」で働く年配の同志、若い世代の間ではこれまでずっと、「『北京週報』は敬愛する周総理自らが提唱して創刊されたものである」と誇りをもって言い継がれてきた。張聞天同志のこの指示報告書にはさらに、出版する計画の英語刊行物の発行期日と名称についても記されている。「初めは週報とせず、やはり2週間に1回出版することとし、その他のアジア語版の『人民中国』と区別するため、名称を改めるのは必要であるが、『北京週報』と呼んではならない、例えば、『北京評論』などと呼んではならない」。総理はこの一段の文字の傍に注釈を加えている。「すでに毎週1回に決定しており、名称は『北京週報』に定める」。ここから分かるように、「北京週報」というこの刊行物の名称も確かに総理が選択したものなのである。準備の過程で、総理は自ら試作刊行物の見本刷りを審査、閲読し、指示したことがある。

張聞天同志の報告書のなかでもそれは実証される。「引き続き試作刊行物を編集し、印刷するように。各コラムはやや調整が必要である。総理が指摘した欠点は、彼らの注意を引いた。表紙は上質紙に改めるように」

英語版「北京週報」は出版されるや、世界各地へと、迅速に、正確に、権威をもって中国から発せられた情報を伝えていった。60年4月、周総理はインドやビルマ(現在のミャンマー)、ネパールなどを歴訪。ネパールでの記者会見で、総理は鄭重に「私の演説の英語訳は『北京週報』が掲載したものに順ずるように」と語られた。

周総理と鄧小平同志の指示に基づき、「北京週報」にスペイン語版とフランス語版が追加され、のちには日本語版やドイツ語版なども出版されるようになった。「北京週報」は大いなる発展時期を迎えた。

63年3月5日は英語版創刊5周年とスペイン語版、フランス語創刊の記念日であった。週報は北京飯店で祝賀会を開くことにしていた。このとき、同志たちの間に自然と週報に親身になって関心を寄せてくれた周総理のことが心に浮かび、そこで招待状を出すことにした。総理は喜んで同意し、場所を職場の食堂に代えて行うよう提言された。当日午前、週報の同志たちはだれもが総理の来るのを待ちわび、「総理はあれほど忙しいのに、来られるのだろうか」と気になっていた。ついに、総理が本当に来られた。食堂に集まった社内外の人たちのなかに来られると、会場から割れんばかりの拍手があがった。総理は生気みなぎり、笑みをたたえながら次々に語りかけていった。楊承芳同志に付き添われ、ほぼすべてのテーブルを回っては、熱い握手を交わし、親しげに言葉を交わした。あのように穏やかで親しみやすく、あのようにごく普通の人のような姿に、週報の同志たちはテーブル上の飲み物も忘れ、初めて政府の首脳に会ったときによくある堅苦しさも忘れ、ただ喜びと嬉しさ、幸せに浸った。この様に心解き放たれた、愉しい大家庭のような雰囲気に包まれるなか、われわれは一つの秘密を知った。その日は総理の誕生日だったのである。当時は、指導者の伝記を出版することはなく、指導者の誕生日を祝うことも許されていないため、総理とその他の指導者の誕生日は人びとにとって実に新鮮なことであった。このときから週報は3月5日を誕生日に定めた。英語版創刊号には刊行日は1958年3月4日と明記されているが……。

再び熱き拍手が起こり、総理がテーブルを立ってあいさつを述べた。この日の祝賀会には外国の来賓も多かった。週報のほか同じ対外宣伝に携わる機関の外国人専門家もいた。総理は出席者を見回すと、声を高めて話された。「きょうの集まりは『北京週報』のためです。『北京週報』は全世界に向けて発行するものですから、実際には五大陸の友人の団結の集まりです。……最も素晴らしい五大陸の革命人民大家庭の宴会です」

「きょうの集まりに当たり、わたしたちはそれぞれの友人が努力することで、『北京週報』の仕事をさらに円滑に進め、『北京週報』を五大陸でさらに幅広く発行し、『北京週報』の仕事をさらに前進、発展させていかねばなりません。

わたしたちは五大陸の人民のために服務するだけでなく、五大陸の人民の革命戦線をさらに支持していかねばなりません」総理はさらに黒痕鮮やかに週報のために揮毫してくださった。「全世界の人民は団結し、互いに支持し、互いに学んで、米国をはじめとする帝国主義に反対する闘争を進めていこう」

改革、開放という新たな時代に入って以降、「北京週報」は方針を調整し、刊行物も装いを新たにした。92年には、江総書記が題字「中国の窓 世界の友」を寄せてくださった。中央政府はさらに「『北京週報』は徐々に世界的なニュース週刊誌に向けて発展していかねばならない」との方針を打ち出し、われわれに今後の発展へ明確な方向を示してくださった。周総理生誕110周年と週報創刊50周年を迎えるため、同志たちは総理を偲び、総理の生前の教えを再び温め、週報の歴史を回顧し、これまでの経験を総括した。党中央の親身な関心と上級機関の確固とした指導のなか、わたしは同志たちが心を一にして協力し、周総理の温かな関心をかつて受け、そして大きな期待を託された「北京週報」を必ずやますます素晴らしいものにしていくと確信している。

(筆者は元北京週報者副総編集長)

「北京週報日本語版」 2008年4月

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