安徽省鳳陽県小崗村の「各戸生産全面請負制記念館」
30年間にわたる農村の改革は、幾多の曲折と起伏を経てきたが、改革の本当の主役は農民である。この30年間、中国共産党と政府の指導の下で、数億もの農民は無限な智恵を発揮して絶えず模索を進め、農村の改革は障害を突破して進んできた。今日において、農村の改革は新しいスタート地点に立ったが、農民の創造的精神を尊重し、保護し、発揚するという姿勢は、変わるべきではない。
――生産請負制
1978年末ごろ、安徽省鳳陽県小崗村 の18の農家が、投獄される危険を冒して、「各戸生産請負」契約書に粛々と拇印を押した。その後まもなく、同県にあるその他のいくつかの村や同省肥西県の一部地区、四川省の一部地区も、相次いで名称が異なる請負責任制を実行し始めた。ちょうどこのころ、中国共産党第11期3中全会が開かれて、思想解放の春風が各地に吹き渡り、「実践が真理を検証する唯一の基準だ」という思想が農業生産に貫かれた。小崗村などの実践は、さまざまな責任制、とりわけ「各戸生産請負制」と「各戸生産全面請負制」が確かに農民の積極性をさらに引き出すことができるものだと立証した。故鄧小平氏が1980年5月に「安徽肥西県のほとんどの生産隊は各戸生産請負制を実行して、増産幅がとても大きくなった。(有名な民謡の)『鳳陽花鼓』で歌われたあの鳳陽県で、ほとんどの生産隊も全面請負制を実行したため、1年間で生まれ変わり、変貌した」と述べたことで、それから、各戸生産請負制と各戸生産全面請負制が全国の農村で速やかに普及した。1981年までに、貴州、四川、山東などの省では、各戸生産請負制を実行した公社と生産隊が半分以上に達した。中国共産党中央委員会が1982年に発した「1号文書」は、さまざまな形態の生産請負責任制を確認し、1983年の「1号文書」はさらに、各戸生産量連動請負責任制は「党の指導の下での中国農民の偉大な創造だ」と指摘した。
「北京週報日本語版」2008年10月9日 |